洋学史学会若手部会

洋学史学会に所属する大学院生・学部生を中心とする若手部会です。

【洋学史学会若手部会7月オンライン例会】開催案内

 洋学史学会若手部会では、新型コロナウイルス感染拡大防止を目的に、当面の間、オンラインにて例会を開催することといたしました。
 緊急事態宣言は解除されましたが、今なお感染拡大防止の観点から、これまで同様の一堂に会する例会開催は現在も難しい現状にあります。そうした中でも、研究成果を報告する場を維持したい、若手研究者同士の交流を深め、研究活動のモチベーションを高めたいとの思いから、オンラインによる例会の開催を決定いたしました。
 なお、オンライン形式の例会は、月に2度、隔週土曜日に開催予定です。7月は下記日程にて、オンライン例会を開催いたしますので、ふるってご参集ください。

 

【洋学史学会7月オンラン例会】
74日開催
日時:74日(土)14:00~15:00(例会終了後に茶話会を予定)
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし
ただし、事前登録制https://forms.gle/ZFi6DqbSskdW235N9
72日(木)17時入力締め切り
例会準備の関係上、7月に開催される2回分の参加可否をまとめてとります。入力後に変更が生じた場合は、運営まで個別にご相談ください。 

報告者:堅田智子(流通科学大学講師)
報告タイトル:「ウィーン万国博覧会におけるシーボルト兄弟の役割」

【要旨】
 1873(明治6)年51日から1031日まで、オーストリア・ハンガリー帝国の帝都ウィーンにおいて、万国博覧会が開催され、日本が一国家として初めて公式に参加した。日本では、ウィーン万博の準備・参加のため、正院に博覧会事務局が設置された。そして、民部省雇であった兄アレクサンダー・フォン・シーボルト(Alexander von Siebold, 1846-1911)は「外人應接」として、駐日オーストリア・ハンガリー帝国公使館の臨時通訳生であった弟ハインリッヒ・フォン・シーボルト(Heinrich von Siebold, 1852-1908)は「通譯及編集」として、博覧会事務局に招聘された。
 ウィーン万博においてアレクサンダーが真っ先に取り組んだのは、「巨大物品」の選定であった。さらにアレクサンダーは、岩倉遣欧使節団の通訳として、オーストリア皇帝夫妻主催の宮廷晩餐会に参加した。一方、ハインリッヒは、万博閉会後に日本の展示品を売却する際、兄とともに交渉に熱心に携わった。売却された展示品や、のちにハインリッヒが寄贈した日本関係コレクションは、現在、ウィーン世界博物館やオーストリア国立工芸美術館(MAK)に現存する。
 本報告では、『澳國博覧會参同記要』、展示品を収めた写真アルバム、田中芳男が作成した『外国捃拾帖』、アレクサンダーの著作、ブランデンシュタイン城シーボルト・アーカイヴ所蔵資料、MAKにより刊行された雑誌などを多角的に分析する。そして、シーボルト兄弟がウィーン万博においていかなる役割をはたしたのか、明らかにする。 

【参考文献】
· Siebold, Alexander von. Persönliche Erinnerungen an den Fürsten Ito Hirobumi In: Richard  Fleischer (Hg.), Deutsche Revue über das gesamte nationale Leben der Gegenwart, Jg.35, Bd.2, Leipzig, Stuttgart: Verlag von Trewendt, 1910, S.214-230.
· 田中芳男、平山成信編『澳國博覧會参同記要』、森山春雍、1897年。
· 早稲田大学図書館所蔵『澳國維府博覧會出品撮影写真帖』1873年。
· 拙稿「明治政府外交官アレクサンダー・フォン・シーボルトと『視覚による広報』の場としてのウィーン万博」日高薫責任編集、国立歴史民俗博物館編『異文化を伝えた人々――19世紀在外日本コレクション研究の存在――』臨川書店、2019年、69-82頁。

 

718日開催
日時:718日(土)14:00~15:00(例会終了後に茶話会を予定)
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし
ただし、事前登録制https://forms.gle/ZFi6DqbSskdW235N9
※72日(木)17時入力締め切り
例会準備の関係上、7月に開催される2回分の参加可否をまとめてとります。入力後に変更が生じた場合は、運営まで個別にご相談ください。

報告者:橋本真吾(東京工業大学非常勤講師)
報告タイトル:「文政後期の海外情報活動と地理書翻訳―高橋景保の北米大陸への関心をめぐって」

【要旨】
 本報告の目的は、御書物奉行兼天文方筆頭であった高橋景保の海外情報活動との関連から、文政後期に蘭学者が行なった地理書翻訳の背景について考察することにある。
 景保は、ゴロヴニンがヨーロッパで出版した『日本幽囚記』の日本語訳『遭厄日本紀事』が完成した1825(文政8)年以降、ロシア人の動向、とりわけ日本の北方における露米会社の活動に関心を寄せていた。動向調査の過程で、露米会社が北米大陸に展開している情報を掴んだ景保は、次第に北米大陸の情勢に関心を持ち始めたことが考えられる。
 当時北米情勢を知る手がかりとなった翻訳情報は、古い蘭書に依拠していたため、その多くが時代錯誤のものだった。そのため、1826(文政9)年、参府したフォン・シーボルトとの会談で北米に新たに米国が誕生したことなどを告げられた景保は、近年の世界情勢の変化に驚いたとされる。そこで世界地理を把握する必要性を感じた景保は、幕府天文方での地理書翻訳事業の推進を思案したことが考えられる。
 以上を踏まえ本報告では、従来の研究が言及しなかった文政期の地理書翻訳への景保の関与を明らかにし、景保の海外情報活動を、北米大陸への関心という従来とは異なる視点から洋学史に位置づけることを試みる。

【参考文献】
呉秀三,1967年(→初版:1896年,第2版:1926年),『シーボルト先生 1 その生涯及び功業』(岩生成一解説),平凡社.
上原久,1977年,『高橋景保の研究』,講談社.
石山洋,1984年,「地理学」中山茂編『幕末の洋学』,ミネルヴァ書房.
ドベルグ・美那子,1991年,「高橋景保とJ.W.ド・ストゥルレル―『丙戌異聞』成立とその前後」『日蘭学会会誌』31号,日蘭学会.
横山伊徳,2013年,『日本近世の歴史 5 開国前夜の世界』,吉川弘文館.