洋学史学会若手部会

洋学史学会に所属する大学院生・学部生を中心とする若手部会です。

【洋学史学会若手部会8月オンライン例会】開催案内

洋学史学会若手部会では8月オンライン例会を開催致します。
どなたでもご参加いただけますので、ご関心のあるかたは奮ってご参集ください。

【洋学史学会若手部会8月オンライン例会】
◆8月7日(土)開催
日時:2021年8月7日(土)14:00~16:10(例会終了後に茶話会を予定)
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし ※会員、非会員にかかわらずご参加いただけます。
ただし、事前登録制(登録はコチラ
※8月5日(木)17時入力締切
回答後に変更が生じた場合、期日までにフォームを編集するか、洋学史学会若手部会運営(yogakushi.wakate@gmail.com)まで直接、ご相談ください。

報告者①:山本瑞穂(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)
報告タイトル:「文化初年の長崎警衛におけるオランダ商館」
〈報告要旨〉
 本報告では、近世後期において欧米諸国の接近に直面した幕府が、オランダ人を政治的にどのように位置付けたかについて検討する。
 幕府によるロシア使節レザーノフへの通商拒否は、文化3、4年(1806、07)蝦夷地における日露紛争の発生を招いた。幕府・諸藩は長崎へのロシア船来航を警戒したが、イギリス軍艦フェートン号が入港する予想外の事件が起き、これにより長崎警備の強化が加速したと理解されてきた。その中でオランダ商館については、情報や知識を日本側に提供する役割を担ったと評価されてきた。
 では、オランダ商館は、幕府への情報提供以外にどのような政治的役割を担っていたのだろうか。本報告では、フェートン号事件を経て、長崎奉行所が異国船の船籍確認(旗合わせ)と出島警衛のあり方を見直した過程を、主にオランダ通詞作成の史料を用いて検討し、幕府の異国船対応における商館の位置付けを明らかにする。また長崎市中と商館との関係性についても展望したい。
【参考文献】
片桐一男「フェートン号事件が蘭船の長崎入港手続に及ぼしたる影響」(『法政史学』19、1967年)
宮地正人「ナポレオン戦争とフェートン号事件」(『幕末維新期の社会的政治史研究』岩波書店、1999年)
梶嶋政司「フェートン号と長崎警備」(『九州文化史研究所紀要』50、2007年)
深瀬公一郎「ロシア船対策における海防問題と長崎地役人」(『研究紀要(長崎歴史文化博物館)』14、2019年)

 報告者②:佐々木千恵(早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程)
報告タイトル:「鷹見泉石が洋学振興に果たした役割 ―― 大野藩土井利忠との関係を例に」
〈報告要旨〉
 古河藩家老であった鷹見泉石(1785~1858)は西洋の文物・情報に強い関心を抱き、多くの書籍や物品を収集した。交友範囲も大槻玄沢、高島秋帆、阿蘭陀通詞から、近侍した藩主土井利位が筆頭老中になったこともあり、川路聖謨ら幕府要人に至るまで極めて広範囲に及ぶ。そうした知己と書籍・地図等を貸借りし、情報交換を盛んに行い、西洋に関する知識の伝播に貢献した。
 今回の報告では、泉石が60年以上記述を続けた『鷹見泉石日記』を題材に、古河藩主と類縁関係にあった越前大野藩主土井利忠への情報提供について分析する。利忠は洋式銃砲の製造、軍制改革、藩校明倫館創設による人材育成、洋学館創設による洋学振興、藩直営販売店「大野屋」の全国規模の展開、といった政策により四万石の山間小藩を雄藩に脱皮させ全国にその名を轟かせた。
 能登守(利忠)との交流は先行研究でも言及されているが、能登守という記述部分への注目にとどまっていた。本報告では家臣らとの交流まで精査し、泉石の所有する書籍や情報が利忠の藩政に与えた影響について検討する。
【参考文献】
土井利忠公百年祭奉賛会資料出版部編『土井利忠公と大野藩』(土井利忠公百年祭奉賛会、1966年)
片桐一男「鷹見泉石の蘭学攻究」(大倉山精神文化研究所『大倉山論集』第11輯、1974年3月)
片桐一男『鷹見泉石 開国を見通した蘭学家老』(中央公論新社、2019年)