洋学史学会若手部会

洋学史学会に所属する大学院生・学部生を中心とする若手部会です。

【内容報告】2021年10月オンライン例会

洋学史学会若手部会では8月オンライン例会を開催し、2名の会員による研究報告が行われました。以下にその概要を報告いたします。

日時:2021年10月2日(土)14:00〜16:10

報告者①:武正泰史(東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程)
報告タイトル:「和算における「点竄」の普及と解釈について」

 本報告では、江戸時代における数学用語「点竄」をめぐり、その評価や普及過程について、江戸時代中期から明治時代に出版された和算書から、通時的に検討された。
 数学用語としての点竄が最初に登場した出版物は、久留米藩主・有馬の『拾璣算法』(1769年刊)であった。本書により、点竄と傍書法が一括に理解され、後続の出版物にもその形式が受け継がれた。それゆえ筆算や代数学との類似点が見出されることにつながる。文化期には、点竄の本源は西洋の筆算である、点竄の本源は関孝和の帰源整法を改称したものであるといった『拾璣算法』とは異なる解釈が登場した。この解釈は文政・天保期の出版物にも踏襲される。安政期以降、西洋数学が本格的に導入され始めると、一部の和算家が点竄を代数学と同等に評価するようになった。その結果東京数学会社が設立した訳語会で点竄がalgebraの訳語候補にあげられることとなった。
 質疑応答では、史料の性格や東京数学会社の特徴、点竄をめぐる実態、関流以外の和算家の著述も見る必要性などが議論された。

報告者②:堅田智子(流通科学大学商学部講師)
報告タイトル:「青木周蔵とアレクサンダー・フォン・シーボルト―「国家を診る医者」を目指した二人の外交官―」

 本報告ではドイツと関係の深かった外交官・青木周蔵と、彼と共に外交を担ったアレクサンダー・フォン・シーボルトの関係性について、両者の出自や交流、外交姿勢から検討された。
 両者の共通性は、医家出身ながら自らの意思で「国家を診る医者」ともいうべき外交官を目指した点にあった。青木がシーボルトを雇用して以降、両者の交流は深まった。青木は、シーボルトが欧州各国に広がる人的ネットワークを有し、日本語、日本文化、日本の情勢・外交を熟知していたことから彼を重用した。他方シーボルトも、みずからの出世を阻む一因となっていた学識の不足をベルリン日本公使館駐在時にベルリン大学法学部で学ぶことで解消しようとしたが、これは青木の助言によると思われる。こうしたことからも、両者は互いの外交官としての欠点を補い合っていたと考えられる。両者は外交官としての目標にも共通性が見られ、これは1879年の北ボルネオ買収計画からも窺える。両者には同志的関係が認められる一方、現存する史料を分析する限り、互いについて多くは語っていない。その意味を検討する際、両者の信頼関係や、機密性が高い外交分野に従事しており書けなかったなどの視点を考慮すべきと指摘された。
 質疑応答では、青木研究を進める上での必読文献である『青木周蔵自伝』の性格、日本でシーボルトの知名度が低い背景、関係解明における追悼文検討の意義、欧州における史料の保存形態や閲覧の難易度など、幅広い議論がなされた。

                                (文・熊野一就)