洋学史学会若手部会

洋学史学会に所属する大学院生・学部生を中心とする若手部会です。

【内容報告】2021年12月オンライン例会

洋学史学会若手部会では12月オンライン例会を開催し、2名の会員による研究報告が行われました。いかにその概要を報告いたします。

日時:2021年12月4日(土)14:00〜16:10

報告者①:塚越俊志(東洋大学非常勤講師)
報告タイトル:「ラクスマン来日前後の松平定信のロシア認識」
 本報告は、ロシア使節ラクスマン来日(1792年)による松平定信のロシア認識の変化を通じて、幕末に本格化する海防の起点について検討したものである。
 松平定信や蝦夷地・ロシアに関する文書・書物に基づき、以下のことが明らかにされた。定信は、ラクスマン来日前から既にロシアを意識して蝦夷地の地理情報を収集していたが、ラクスマン来日後には、ロシアに対する防備のため蝦夷地開発へと動き出したほか、同時期から洋書を収集し、儒学者・蘭学者らからも情報を得るようになった。ただし、定信に限らず他の老中も各々の情報網で北方情報を収集したとみられる。以上から、ラクスマン来日は幕府が海防の必要性を認識する契機となった出来事であったという結論が示された。さらに、今後は定信が収集した情報の現実の海防への反映状況を解明したいという展望が述べられた。
 報告後は、「海防」の語の定義や、老中以外の幕府役人の情報収集の動向、「寛政異学の禁」の位置付けについての質疑応答が行われた。

報告者②:藤本健太郎(長崎外国語大学講師)
報告タイトル:「明治期長崎における衛生行政の展開」
 本報告は、明治18〜19年の長崎区における2度のコレラ流行に対する都市社会の構成員の動向から、コレラ予防対策が段階的深化を遂げた過程について検討したものである。
 実業家の書簡や当時の新聞をもとに以下のことが指摘された。明治18年のコレラ流行時、国際貿易港長崎では経済的打撃が大きかったため、避病院の設置や下水道の整備といった対策が講じられていった。さらに、明治19年の流行を契機に上水道施設が整備され都市機能が向上した。この発展の背景には、医師による民衆への啓発活動や、行政官による予算面での対応、実業団体によるインフラ整備への支援が存在していた。以上のように、長崎区におけるコレラ予防対策が2度のコレラ流行を経て段階的に発展したことが、医学者・行政官・実業家の視点から明らかにされた。さらに、後に実業家が長崎市政に参画していく動向との接続が展望された。
 報告後の質疑応答では、コレラ流行時の病院の動向や、上水道整備による住環境の変化といった論点が挙げられた。

                             (文・山本瑞穂)