洋学史学会若手部会

洋学史学会に所属する大学院生・学部生を中心とする若手部会です。

【開催案内】洋学史学会若手部会6月オンライン例会

注:参加申し込みをされた方宛に、参加用URL等を記載したメールを送信済みです。未着の方は、運営までご一報ください。(2022年6月4日 8時加筆)

洋学史学会若手部会では、6月オンライン例会を開催致します。
ご関心のある方はふるってご参集ください。

【洋学史学会若手部会6月オンライン例会】
日時:2022年6月5日(日)14:00〜16:10(例会終了後に茶話会を予定)
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし ※会員、非会員にかかわらずご参加いただけます。
ただし、事前登録制(登録はコチラ※6月3日(金)18:00入力締切
回答後に変更が生じた場合、期日までにフォームを編集するか、洋学史学会若手部会運営(yogakushi.wakate@gmail.com)まで直接、ご相談ください。

報告者①:臺由子(明治大学大学院博士後期課程)
報告タイトル:佐賀藩における『マガゼイン (Nederlandsch Magazijn)』の利用

〈報告要旨〉
 江戸時代に輸入されたオランダ語の書物の一つに,挿絵入りの大衆啓蒙雑誌である『マガゼイン(Nederlandsche Magazijn)』がある(1834-1845, 新シリーズ1846-1858)。当時の日本での『マガゼイン』の利用は,「海外情報・文化の収集の手段や重視された情報が,知識の集積である百科事典から雑誌へと移行したことを示」すという指摘1もある。
 現在その所在は不明であるが,佐賀藩は『マガゼイン』を所有し,『洋書目録』の貸出記録が指摘されている。今回の発表では,武富圯南が千住大之助にあてた書翰を史料とし,「朝鮮人参」の記事を大庭雪斎に訳させていることに対して,『マガゼイン』が医学書ではないという考えを持つ人物がいる一方で,人参の効能を実際に試すといった佐賀藩の医学の一場面を見ることになる。佐賀藩での利用を読み解くことによって,『マガゼイン』の翻訳から実用につなげようとする姿勢を分析しようとするものである。

1 上野晶子「マガゼイン」『洋学史研究事典』p.147 思文閣出版 2021

〈参考文献〉
中野礼四郎編 『鍋島直正公伝』6 侯爵鍋島家編纂所,1920
齋藤信「佐賀鍋島家『洋書目録』」『西南諸藩の洋学』西南諸藩洋学史研究会,1985
松田清編『佐賀鍋島家「洋書目録」所収原書復元目録』京都大学大学院人間・環境学研究科 松田研究室,2006
青木歳幸 「佐賀藩における西洋医学の需要と展開」『幕末佐賀藩の科学技術』下 岩田書店,2016
青木歳幸 『佐賀藩の医学史』佐賀大学地域学歴史文化研究センター,2019

報告者②:醍醐龍馬(小樽商科大学商学部一般教育系 准教授)
報告タイトル:「榎本武揚の化学者的特性-石鹸製造への関心を中心に-」

〈報告要旨〉
 本報告では、幕末のオランダ留学などで洋学を学んだ榎本武揚の化学者的特性を石鹸製造への関心を中心に検討する。榎本が化学(舎密学)を学び石鹸や焼酎、流星刀などに興味を示していたこと自体は既に知られているが、実際に彼がどのようなタイプの化学者だったかまでは内在的に検討されていない。このような専門知の実態を明らかにすることは、明治維新期の学問水準の一端を内面的に知る手掛かりとして重要なだけでなく、榎本が旧幕臣にも拘わらず藩閥政府内で浮上できた要因を考える上でも欠かせない。そこで、本報告では榎本の化学者的特性に関し、特に彼が戊辰戦争後の獄中で記した「石鹸製造法」(国立国会図書館憲政資料室所蔵)に着目し、家族宛書簡などの関連記述、さらには実際に榎本が書いたレシピ通りに石鹸を復刻した実験結果などとも照らし合わせながら考察する。結論として、榎本の学問的関心が現代でいう純正化学にはなく、殖産興業を見据えた応用化学(工業化学)にあり、学問と実業の架橋に主眼が置かれていたことを指摘する。

〈参考文献〉
加茂儀一『榎本武揚-明治日本の隠れたる礎石』中央公論社、1960
芝哲夫「榎本武揚の化学志向」『化学史研究』35(2)、2008
芝哲夫「ポンペ(1829-1908)-化学の魅力教えた恩師」榎本隆充、高成田享編『近代日本の万能人・榎本武揚 1836-1908』藤原書店、2008
島田義照『日本石鹸工業史』大阪石鹸商報社、1932