洋学史学会若手部会

洋学史学会に所属する大学院生・学部生を中心とする若手部会です。

【開催案内】洋学史学会若手部会総会・4月例会

洋学史学会若手部会では下記日程にて、総会と4月例会を開催いたします。例会はどなたでもご参加いただけますので、ご関心のあるかたはご参集ください。
※対面・オンラインの併用での開催です。

【洋学史学会若手部会総会・4月例会】
◆2024年度 洋学史学会若手部会総会(Zoom併用)
日時:2024年4月6日(土)13:00~13:50
会場:電気通信大学(東京都調布市) 東1号館806教室
(Zoom URLは後日、総会議題と同時配布を予定)

※洋学史学会若手部会正会員のみ対象

◆洋学史学会若手部会4月例会(Zoom併用)
日時:2024年4月6日(土)14:00〜17:45 ※終了後に茶話会、懇親会を予定。
会場:電気通信大学(東京都調布市) 東1号館806教室
(Zoom URLは後日、報告資料と同時配布を予定)

事前登録制、登録はこちらから。
※4月4日(木)18:00申込締切。

 報告者①:芦田雄樹(東京工業大学環境・社会理工学院社会・人間科学系社会・人間科学コース 修士課程)
「「赤松小三郎」の語られ方―没後から戦前期までを対象に―」

〈報告要旨〉
 上田藩士・赤松小三郎(1831―1867)は、議会制度導入を幕府などへ建白したことや『英国歩兵練法』などの兵書の翻訳などで知られるが、未だその功績についての評価は定まっていない。そこで本報告では、慶応3(1867)年に暗殺されて以降の赤松についての語られ方に焦点を当て、近代における赤松の評価を体系化することを目的とする。具体的には、同時代に生きた人物による暗殺直後の日記や、赤松に関わった人物による回想、その他赤松やその功績について書かれた諸記事を渉猟し、考察する。報告では、暗殺に関する記述のある『朝彦親王日記』や、赤松についての回想を聞き取った記事などを掲載している『上田郷友会月報』、『信濃毎日新聞』の赤松に関する言説を分析する。
 赤松は洋学者でありながら、洋学研究史において評価が定まったとは言えない。本報告で、赤松の洋学の評価にも言及し、歴史的意義についても検討したい。


〈参考文献〉
信濃毎日新聞社開発局出版部編『維新の信州人』(信濃毎日新聞社、1974年)
関良基『赤松小三郎ともう一つの明治維新―テロに葬られた立憲主義の夢』(作品社、2016年)
宮地正人『地域の視座から通史を撃て!』(校倉書房、2016年)

報告者②:河瀬真弥(京都大学大学院博士後期課程/京都大学大学院教育支援機構奨励研究員*)
「『日本大辞書』における音義説の位置」


〈報告要旨〉
 山田美妙『日本大辞書』(1892~1893年刊)は大槻文彦『言海』(1889~1891年刊)に触発されて編纂された国語辞書である。『日本大辞書』は『言海』に比べて記述が粗く、完成度の面において『言海』には及ばないとするのが、国語学史上の評価である。
 さて、『日本大辞書』には「音義説」という、現在では非科学的とされる語源理論に基づく記述が見られる。音義説とは、例えば「『な』『に』『ぬ』『ね』『の』には、『滑らかな』という意味がある」といったように、各々の「音」には「義」(意味)があるとする語源理論である。音義説という非科学的な理論を取り入れているということを理由に、『日本大辞書』の不出来をさらに追認することはたやすい。しかし、明治時代の国語学界の性格を清濁併せ呑んで全体的に把握しようという観点からは、音義説のどのような点に『日本大辞書』が惹かれたのか、という課題に取り組まなければならない。
 発表者は上記の課題について報告を行う。また、『日本大辞書』はどのような資料に依拠して音義説を取り入れたのか、『日本大辞書』の音義説は従来の音義説と比べてどのような特徴を持つか、という点についても報告する。

〈参考文献〉
河瀬真弥(2023)「『日本大辞書』における用例収集法の研究 序説:中古文学における「あさまし」を例に」(『京都大学国文学論叢』49)
古田東朔(1971)「近世」(古田東朔、築島裕『国語学史』東京大学出版会、第3章)
山田忠雄(1981)「言海以後」(山田忠雄『近代国語辞書の歩み:その模倣と創意と』上、第3部第2章、三省堂)
*肩書は2024年3月4日現在。

問い合わせ先:yogakushi.wakate@gmail.com(洋学史学会若手部会運営)