洋学史学会若手部会

洋学史学会に所属する大学院生・学部生を中心とする若手部会です。

【紹介】本ブログおよび今後の開催予定について

 洋学史学会若手部会は、洋学史学会に正式に承認された支部であり、洋学史学会に所属する大学院生・学部生などを中心とする研究会です。原則として偶数月第1土曜日の午後に開催します。 各種研究報告はもちろん、洋学史研究に関連する情報収集・共有の場としていく予定です。洋学史学会非会員の方であっても、参加は可能です。本ブログでは、洋学史学会若手部会の活動について発信していきます。
2021年4月末時点での会員数 34名(正会員22名、賛助会員12名)

 お問い合わせは、洋学史学会若手部会(yogakushi.wakate@gmail.com)までお願いいたします。Informationにて運営委員、会則、入会方法等についてご案内しています。


今後の開催予定について
 詳細は開催1ヶ月前を目途に更新予定です。

オンライン例会を開催します。(2020年5月6日UP)
 洋学史学会若手部会では、新型コロナウイルス感染拡大防止を目的に、当面の間、オンラインにて例会を開催することといたしました。
 緊急事態宣言下にあっては、これまでのように一堂に会し、研究発表や意見交換を行なうことは困難です。そうした中でも、研究成果を報告する場を維持したい、若手研究者同士の交流を深め、研究活動のモチベーションを高めたいとの思いから、オンラインによる例会の開催を決定いたしました。


NEW!【オンライン例会/2021年12月4日(土)】
塚越俊志(東洋大学非常勤講師)
藤本健太郎(長崎外国語大学講師)

2021年度例会スケジュール】
2021年4月3日(土):
西脇彩央/橋本真吾
2021年6月5日(土):吉田宰/西留いずみ
2021年8月7日(土):山本瑞穂/佐々木千恵
2021年10月2日(土):堅田智子/武正泰史
2021年12月4日(土):塚越俊志/藤本健太郎
2022年2月5日(土):阿曽歩/菊地悠介

【開催案内】洋学史学会若手部会12月オンライン例会

洋学史学会若手部会では12月オンライン例会を開催致します。
どなたでもご参加いただけますので、ご関心のある方は奮ってご参集ください。

【洋学史学会若手部会12月オンライン例会】
◆12月4日(土)開催
日時:2021年12月4日(土)14:00〜16:10(例会終了後に茶話会を予定)
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし ※会員、非会員にかかわらずご参加いただけます。
ただし、事前登録制(登録はコチラ※12月2日(木)17:00入力締切
回答後に変更が生じた場合、期日までにフォームを編集するか、洋学史学会若手部会運営(yogakushi.wakate@gmail.com)まで直接、ご相談ください。

報告者①:塚越俊志(東洋大学非常勤講師)
報告タイトル:「ラクスマン来日前後の松平定信のロシア認識」
〈報告要旨〉
 ロシアの南下に対応すべく、老中田沼意次は天明5年(1785)普請役山口鉄五郎らに蝦夷地調査を命じた。田沼の老中解任とともに、この調査団の任務は終了した。この調査は松平定信が老中となっても一部引き継がれる。
 こうした情勢下で、寛政4年(1792)10月3日、ロシアから北部沿海州ギジガ守備隊長アダム・ラクスマン(Adam Kirillovich Laxman)陸軍中尉は漂流民となった神昌丸の船頭大黒屋光太夫らを送還するために、根室へやってきた。その時に、老中松平定信は「信牌」を渡し、交易をしたいならば、長崎に回るよう指示した。しかし、ラクスマンは長崎に回航せずにそのまま帰国した。
 本報告では、松平定信がロシアに対してどのような情報収集・分析を行って対応しようとしたのかを明らかにする。情報収集の対象として、定信以外の老中、蘭学者や儒学者らが挙げられるため、彼らの認識を踏まえた考察を試みる。

【参考文献】
木崎良平『光太夫とラクスマン』刀水書房、1992年
秋月俊幸『日本北辺の探検と地図の歴史』北海道大学図書刊行会、1999年
生田美智子『外交儀礼から見た幕末日露交流史』ミネルヴァ書房、1999年
松本英治「寛政期の長崎警備とロシア船来航問題」(青山学院大学文学部『紀要』第41号、2000年)
藤田覚『近世後期政治史と対外関係』東京大学出版会、2005年
高澤憲治『松平定信政権と寛政改革』清文堂出版、2008年
高澤憲治『松平定信』吉川弘文館、2012年

 

報告者②:藤本健太郎(長崎外国語大学講師)
報告タイトル:「明治期長崎における衛生行政の展開」
〈報告要旨〉
 明治18(1885)年から明治19(1886)年にかけ長崎区で発生した二度のコレラ流行の経験は「検疫停船規則」「伝染病予防心得」などに基づく、清潔法・摂生法・隔離法・消毒法の遵守及び励行に留まっていた同区のコレラ対策を短期間で一変させた。
 国際貿易港であった長崎においては、内国船・外国船の入港減少や風評被害という地域経済に悪影響を及ぼす事態に直面し、明治18年のコレラ流行後は避病院の増設や下水道の整備に乗り出すとともに、明治19年のコレラ流行後は衛生工事の中でも最良の手段と謳われていた上水道施設の整備へとコレラ予防対策が高まりを見せる。
 一連の動きの背景には、県立長崎病院の医師や市井の開業医たちによる臨床・一般民衆への啓発活動に加え、長崎県庁を中心とした行政官による県会の議決を超然した衛生費の補正予算執行や先例のない公債発行、上水道施設という都市インフラの整備に向けた実業団体の支援などが存在していた。
 強力な毒性を持つ感染症に続けて見舞われた、長崎区におけるコレラ予防対策が段階的に深化してゆく過程を、医学者・行政官・実業家それぞれの視点から明らかにしたい。
 
【参考文献】
市川智生「近代日本の開港場における伝染病流行と外国人居留地-一八七九年「神奈川県地方衛生会」によるコレラ対策-」『史学雑誌』第117巻第6号、2008年
松本洋幸『近代水道の政治史』吉田書店、2020年

【内容報告】2021年10月オンライン例会

洋学史学会若手部会では8月オンライン例会を開催し、2名の会員による研究報告が行われました。以下にその概要を報告いたします。

日時:2021年10月2日(土)14:00〜16:10

報告者①:武正泰史(東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程)
報告タイトル:「和算における「点竄」の普及と解釈について」

 本報告では、江戸時代における数学用語「点竄」をめぐり、その評価や普及過程について、江戸時代中期から明治時代に出版された和算書から、通時的に検討された。
 数学用語としての点竄が最初に登場した出版物は、久留米藩主・有馬の『拾璣算法』(1769年刊)であった。本書により、点竄と傍書法が一括に理解され、後続の出版物にもその形式が受け継がれた。それゆえ筆算や代数学との類似点が見出されることにつながる。文化期には、点竄の本源は西洋の筆算である、点竄の本源は関孝和の帰源整法を改称したものであるといった『拾璣算法』とは異なる解釈が登場した。この解釈は文政・天保期の出版物にも踏襲される。安政期以降、西洋数学が本格的に導入され始めると、一部の和算家が点竄を代数学と同等に評価するようになった。その結果東京数学会社が設立した訳語会で点竄がalgebraの訳語候補にあげられることとなった。
 質疑応答では、史料の性格や東京数学会社の特徴、点竄をめぐる実態、関流以外の和算家の著述も見る必要性などが議論された。

報告者②:堅田智子(流通科学大学商学部講師)
報告タイトル:「青木周蔵とアレクサンダー・フォン・シーボルト―「国家を診る医者」を目指した二人の外交官―」

 本報告ではドイツと関係の深かった外交官・青木周蔵と、彼と共に外交を担ったアレクサンダー・フォン・シーボルトの関係性について、両者の出自や交流、外交姿勢から検討された。
 両者の共通性は、医家出身ながら自らの意思で「国家を診る医者」ともいうべき外交官を目指した点にあった。青木がシーボルトを雇用して以降、両者の交流は深まった。青木は、シーボルトが欧州各国に広がる人的ネットワークを有し、日本語、日本文化、日本の情勢・外交を熟知していたことから彼を重用した。他方シーボルトも、みずからの出世を阻む一因となっていた学識の不足をベルリン日本公使館駐在時にベルリン大学法学部で学ぶことで解消しようとしたが、これは青木の助言によると思われる。こうしたことからも、両者は互いの外交官としての欠点を補い合っていたと考えられる。両者は外交官としての目標にも共通性が見られ、これは1879年の北ボルネオ買収計画からも窺える。両者には同志的関係が認められる一方、現存する史料を分析する限り、互いについて多くは語っていない。その意味を検討する際、両者の信頼関係や、機密性が高い外交分野に従事しており書けなかったなどの視点を考慮すべきと指摘された。
 質疑応答では、青木研究を進める上での必読文献である『青木周蔵自伝』の性格、日本でシーボルトの知名度が低い背景、関係解明における追悼文検討の意義、欧州における史料の保存形態や閲覧の難易度など、幅広い議論がなされた。

                                (文・熊野一就)

【洋学史学会若手部会10月オンライン例会】開催案内

洋学史学会若手部会では10月オンライン例会を開催致します。
どなたでもご参加いただけますので、ご関心のあるかたは奮ってご参集ください。

【洋学史学会若手部会10月オンライン例会】
◆10月2日(土)開催
日時:2021年10月2日(土)14:00~16:10(例会終了後に茶話会を予定)
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし ※会員、非会員にかかわらずご参加いただけます。
ただし、事前登録制(登録はコチラ
※9月30日(木)17時入力締切
回答後に変更が生じた場合、期日までにフォームを編集するか、洋学史学会若手部会運営(yogakushi.wakate@gmail.com)まで直接、ご相談ください。

報告者①:武正泰史(東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程)
報告タイトル:「和算における「点竄」の普及と解釈について」(仮)
〈報告要旨〉
 本報告は江戸時代の数学用語である「点竄」が、どのように解釈され、普及したのかを検討するものである。
 元々「点竄」は有馬頼徸(1714-1783)の『拾璣算法』(1769年刊)によって世に広まった。同書の出版後、「点竄」は版本、写本問わず様々な数学書の中で言及され、江戸時代後期から明治にかけて多くの数学者が知る用語となった。さらに東京数学会社による訳語会では、algebraの訳語の候補として「点竄」が提案されており、明治初期の一部の数学者は代数と同等の意味で解釈していた。
 しかし、これまでの研究では「点竄」がどのように評価され、algebraの訳語にもあげられたのか、その歴史的背景について十分な検討がなされていない。そこで本報告では、『拾璣算法』以後に出版された数学書に注目することで、江戸時代の数学者がどのように「点竄」を位置づけていたのかを検討し、訳語会での主張が生まれるに至った背景を明らかにする。

【参考文献】
薩日娜『日中数学界の近代』臨川書店、2016年。
日本学士院編『明治前日本数学史』全5巻、岩波書店、1954-1960年。
「日本の数学100年史」編集委員会編『日本の数学100年史』上下巻、岩波書店、1983-1984年。

報告者②:堅田智子(流通科学大学商学部講師)
報告タイトル:「青木周蔵とアレクサンダー・フォン・シーボルト―「国家を診る医者」を目指した二人の外交官―」
〈報告要旨〉
 「独逸翁」、「独逸の化身」と称された青木周蔵(1844-1914)を知る上で、「明治のサブリーダーである青木の個性の強い記録」といわれる『青木周蔵自伝』(以下、『自伝』)は必読の書であり、史料的価値は高い。だが、『自伝』では、条約改正交渉におけるオットー・フォン・ビスマルク説得工作(1880年~1881年)、伊藤博文憲法修業(1882年~1883年)、日英通商航海条約の締結(1894年)、獨逸学協会学校専修科ドイツ人教師の選定と任用(1888年)などにともに関わったアレクサンダー・フォン・シーボルト(Alexander von Siebold, 1846-1911)について、いっさい言及はない 。
 『自伝』に校注を加えた坂根義久は、「自伝中には、青木の人物評価というか、人間に対する愛憎の深さが、実に鮮やかに画き出されている」と分析したが、『自伝』に登場しないシーボルトは、青木の「愛憎」の対象とさえなり得なかったのか。本報告では、外務省外交史料館所蔵の外交文書、東京大学総合図書館所蔵のアレクサンダー・フォン・シーボルトの日記、ブランデンシュタイン城シーボルト・アーカイヴ所蔵の書簡や覚書を史料に、出自、ベルリン日本公使館における交流、北ボルネオ買収計画(1879年)を例とした外交姿勢の観点から検討し、両者が書き残そうとしなかった関係性について考究していく。
 なお、本報告は、2022年4月から6月に久米美術館にて開催予定の特別展「プロイセン気質の日本人―明治の外交官・青木周蔵の横顔」(仮)の図録に収録予定の同名論文に基づく。

【参考文献】
Vera Schmidt, „Eine japanische Kolonie in Nord-Borneo: Alexander von Siebolds Memorandum“ in: Fakultät für Ostasienwissenschaften der Ruhr-Universität Bochum (Hg.), Bochumer Jahrbuch zur Ostasienforschung, Bd.20, München: IUDICIUM Verlag, 1996, S.15-28.
青木周蔵、坂根義久校注『青木周蔵自伝』東洋文庫、1994年。
坂根義久『明治外交と青木周蔵』刀水書房、1985年。
福島博編『獨逸學協會學校五十年史』獨逸學協會學校同窓會、1933年。
堅田智子「外交官アレクサンダー・フォン・シーボルトの描いた明治日本――広報外交戦略の立案と展開――」博士学位取得論文、2016年度上智大学提出。

【内容報告】2021年8月オンライン例会

洋学史学会若手部会では8月オンライン例会を開催し、2名の会員による研究報告が行われました。以下にその概要を報告いたします。

日時:2021年8月7日(日)14:00〜16:10

報告者①:山本瑞穂(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)
報告タイトル:「文化初年の長崎警衛におけるオランダ商館」

 本報告は、近世後期に欧米諸国が接近する中で、幕府がオランダ人を政治的にどのように位置付けていたのかを、長崎奉行による異国船入港手続きと出島防備のあり方から再検討する試みであった。
 長崎では異国船が入港する際、役人・商館員・通詞らが立ち会って船籍確認をする「旗合わせ」が行われていた。しかし、文化3、4年の日露紛争、および蘭露関係の悪化に伴い、武力を持たないオランダ人を旗合わせに同席させることが懸念され、旗合わせの方法が見直された。さらに、フェートン号事件でオランダ人が捕縛されたことも相俟って、異国船の入国手続きは大幅に見直されることになった。このように、長崎奉行にとってオランダ人は、情報提供者としての側面のみならず、来航船の国籍によっては、時に保護すべき存在であったことが明らかにされた。また報告者からは、これまで見落とされがちであった蘭露関係も含めて対外関係を見ていく必要性が指摘された。
 質疑では、蘭露関係を含めることによる今後の研究の展開について、蘭露関係を見る際には箱館など北の動きも見ていく必要があることなどが議論された。

報告者②:佐々木千恵(早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程)
報告タイトル:「鷹見泉石による情報伝播活動 ―― 大野藩土井利忠を例に」

 本報告では、『鷹見泉石日記』に描かれた鷹見泉石と大野藩主土井利忠との交流に着目し、泉石が大野藩の洋学発展に果たした役割について考察がなされた。
 鷹見泉石は、数多くの蘭書や筆写地図を所蔵し、それらを知人に頻繁に貸し出していたことで知られる。報告では、利忠のみならず、家臣が代行した交流も含めて分析することで、様々な蘭書が泉石より大野藩に貸し出されていたことが明らかになった。中でも軍事関係や地理学の書籍が多く、これがのちの大野藩による蝦夷地開拓に役立ったと考えられること、また泉石からの多様な書物の貸し出しが、大野藩での洋学関係書物の藩版刊行に影響を与えた可能性があることが指摘された。
 質疑では、安積艮斎の影響について、福井藩との関係性について、泉石が情報を提供するメリットについて、貸し出された書物から見る利忠の関心の変遷について議論がなされた。

                              (文・阿曽歩)

 

【申し込みを締め切りました】オンラインワークショップ開催案内

洋学史学会若手部会主催オンラインワークショップ(2021年9月5日)
「これからの洋学のはなしをしよう―地域と洋学、津山洋学資料館の取り組み―」

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《申込方法》
参加フォーム(https://forms.gle/NXJRiViTJWnKjCB4A)にて8月31日(火)18時までに申し込みのこと。申し込み多数の場合は、先着順。
※申し込み締切を延長しました!
※参加フォームは、ワークショップへの参加申し込み専用であり、洋学史学会9月大会への参加申し込みとは別ですので、ご注意ください。
※オンラインワークショップ前日までに、参加に必要なURL等をお送りいたします。連絡のなかった場合は、メールでお知らせください。
問い合わせ:洋学史学会若手部会 yogakushi.wakate@gmail.com

《登壇者》
講演者:田中美穂(津山洋学資料館学芸員)
司会:堅田智子(流通科学大学講師)

《ワークショップ内容》
(1) 津山洋学資料館の紹介
(2) 収蔵資料について
(3) 洋学のこれから:「洋学をどのように市民に周知していくか」
(4) 参加者との意見交換

【洋学史学会若手部会8月オンライン例会】開催案内

洋学史学会若手部会では8月オンライン例会を開催致します。
どなたでもご参加いただけますので、ご関心のあるかたは奮ってご参集ください。

【洋学史学会若手部会8月オンライン例会】
◆8月7日(土)開催
日時:2021年8月7日(土)14:00~16:10(例会終了後に茶話会を予定)
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし ※会員、非会員にかかわらずご参加いただけます。
ただし、事前登録制(登録はコチラ
※8月5日(木)17時入力締切
回答後に変更が生じた場合、期日までにフォームを編集するか、洋学史学会若手部会運営(yogakushi.wakate@gmail.com)まで直接、ご相談ください。

報告者①:山本瑞穂(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)
報告タイトル:「文化初年の長崎警衛におけるオランダ商館」
〈報告要旨〉
 本報告では、近世後期において欧米諸国の接近に直面した幕府が、オランダ人を政治的にどのように位置付けたかについて検討する。
 幕府によるロシア使節レザーノフへの通商拒否は、文化3、4年(1806、07)蝦夷地における日露紛争の発生を招いた。幕府・諸藩は長崎へのロシア船来航を警戒したが、イギリス軍艦フェートン号が入港する予想外の事件が起き、これにより長崎警備の強化が加速したと理解されてきた。その中でオランダ商館については、情報や知識を日本側に提供する役割を担ったと評価されてきた。
 では、オランダ商館は、幕府への情報提供以外にどのような政治的役割を担っていたのだろうか。本報告では、フェートン号事件を経て、長崎奉行所が異国船の船籍確認(旗合わせ)と出島警衛のあり方を見直した過程を、主にオランダ通詞作成の史料を用いて検討し、幕府の異国船対応における商館の位置付けを明らかにする。また長崎市中と商館との関係性についても展望したい。
【参考文献】
片桐一男「フェートン号事件が蘭船の長崎入港手続に及ぼしたる影響」(『法政史学』19、1967年)
宮地正人「ナポレオン戦争とフェートン号事件」(『幕末維新期の社会的政治史研究』岩波書店、1999年)
梶嶋政司「フェートン号と長崎警備」(『九州文化史研究所紀要』50、2007年)
深瀬公一郎「ロシア船対策における海防問題と長崎地役人」(『研究紀要(長崎歴史文化博物館)』14、2019年)

 報告者②:佐々木千恵(早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程)
報告タイトル:「鷹見泉石が洋学振興に果たした役割 ―― 大野藩土井利忠との関係を例に」
〈報告要旨〉
 古河藩家老であった鷹見泉石(1785~1858)は西洋の文物・情報に強い関心を抱き、多くの書籍や物品を収集した。交友範囲も大槻玄沢、高島秋帆、阿蘭陀通詞から、近侍した藩主土井利位が筆頭老中になったこともあり、川路聖謨ら幕府要人に至るまで極めて広範囲に及ぶ。そうした知己と書籍・地図等を貸借りし、情報交換を盛んに行い、西洋に関する知識の伝播に貢献した。
 今回の報告では、泉石が60年以上記述を続けた『鷹見泉石日記』を題材に、古河藩主と類縁関係にあった越前大野藩主土井利忠への情報提供について分析する。利忠は洋式銃砲の製造、軍制改革、藩校明倫館創設による人材育成、洋学館創設による洋学振興、藩直営販売店「大野屋」の全国規模の展開、といった政策により四万石の山間小藩を雄藩に脱皮させ全国にその名を轟かせた。
 能登守(利忠)との交流は先行研究でも言及されているが、能登守という記述部分への注目にとどまっていた。本報告では家臣らとの交流まで精査し、泉石の所有する書籍や情報が利忠の藩政に与えた影響について検討する。
【参考文献】
土井利忠公百年祭奉賛会資料出版部編『土井利忠公と大野藩』(土井利忠公百年祭奉賛会、1966年)
片桐一男「鷹見泉石の蘭学攻究」(大倉山精神文化研究所『大倉山論集』第11輯、1974年3月)
片桐一男『鷹見泉石 開国を見通した蘭学家老』(中央公論新社、2019年)