洋学史学会若手部会は、洋学史学会に正式に承認された支部であり、洋学史学会に所属する大学院生・学部生などを中心とする研究会です。原則として偶数月第1土曜日の午後に開催します。 各種研究報告はもちろん、洋学史研究に関連する情報収集・共有の場としていく予定です。洋学史学会非会員の方であっても、参加は可能です。本ブログでは、洋学史学会若手部会の活動について発信していきます。
※2026年2月28日現在での会員数 50名(正会員35名、準会員15名)
お問い合わせは、洋学史学会若手部会運営(yogakushi.wakate@gmail.com)までお願いいたします。Informationにて運営委員、会則、入会方法等についてご案内しています。
今後の開催予定について
詳細は開催1ヶ月前を目途に更新予定です。
NEW!【2026年度例会スケジュール】
2026年4月4日(土)河瀬真弥
2026年6月6日(土)
2026年8月1日(土)
2026年10月3日(土)
【開催案内】洋学史学会若手部会 2026年総会・4月例会
洋学史学会若手部会では下記日程にて、総会と4月例会を開催いたします。例会はどなたでも参加できますので、ご関心のある方は奮ってご参集ください。
◆2026年度 洋学史学会若手部会総会(対面・オンライン併用)
日時:2025年4月4日(土)14:00~15:00
会場:ドットブリッジ神保町 - dot bridge神保町
(オンライン参加用Zoom URLは後日配布を予定)
※洋学史学会若手部会会員のみ対象
◆洋学史学会若手部会4月例会(Zoom併用)
日時:2024年4月4日(土)15:10〜 ※終了後に懇親会を予定。
会場:ドットブリッジ神保町 - dot bridge神保町
(オンライン参加用Zoom URLは後日、報告資料と同時配布を予定)
事前登録制、登録はこちらから(4月2日締切)
報告者:河瀬真弥(京都先端科学大学人文学部講師)
報告タイトル:国語辞書をめぐる歴史叙述――『言海』『日本大辞書』を中心に――
〈報告要旨〉
本発表は、国語辞書をめぐる歴史叙述について、どのような定型があるか、および、どのような要因で定型化したのかを明らかにするものである。国語辞書をめぐる歴史叙述とは、例えば「『言海』(大槻文彦著、1889〜1891年)は……な特色を持つ辞書である」などの叙述を指すこととする。
本発表で特に取り上げるのは、明治時代を代表する国語辞書である『言海』と、その『言海』に触発され、対抗したことで知られる『日本大辞書』(山田美妙著、1892 〜1893年)である。『言海』や『日本大辞書』は、その叙述のされ方が定型化しているように思われる。本発表ではまず、『言海』と『日本大辞書』をめぐる叙述が、いかなる形で定型化しているのかを述べる。そして、そのような定型化をもたらす要因や背景には何があるのかを考察する。さらに、定型化した叙述を脱し、別の観点から辞書史を論じるにはどうすれば良いか、ということにも論を進めたい。
〈参考文献〉
高田宏(1978)『言葉の海へ』新潮社
築島裕(1980)「大槻文彦」国語学会編『国語学大辞典』東京堂出版
【開催案内】洋学史学会若手部会2月例会
洋学史学会若手部会では下記日程にて、2月例会を開催いたします。例会はどなたでも参加できますので、ご関心のある方は奮ってご参集ください。
◆洋学史学会若手部会2月例会(Zoom併用)
日時:2026年2月7日(土)15:00〜 ※終了後に懇親会を予定。
会場:ドットブリッジ神保町 - dot bridge神保町
(オンライン参加用Zoom URLは後日、報告資料と同時配布を予定)
事前登録制、登録はこちらから(2月5日締切)
報告者:渡辺大翔(早稲田大学大学院文学研究科日本史学コース)
タイトル:「近世後期における西洋内科の受容〜吉田長淑と蘭馨堂門下生・高野長英を通じて〜」
〈報告要旨〉
本報告では、日本初の西洋内科医である吉田長淑とその門人・高野長英を考察対象とする。長淑とその門下生の活動の検証は、近世後期における西洋内科受容の特質を解明する上で、重要な視座を提供すると考える。
吉田長淑の研究は、主に吉川芳秋、平野満、津田進三をはじめ、金沢の地元の研究者らによって蓄積されてきたが、平野満の研究以降、大きな進展が見られないのが現状である。本報告では、この現状を踏まえ、以下の三つの課題を設定し検討を行う。
第一の課題として、長淑の活動背景となる近世後期の医学界および社会状況の再評価を、第二の課題として、長淑が標榜した西洋内科医としての医学理論の究明を、第三の課題として、蘭馨堂の実態とその門下生との交流および学問的継承に関する検討を行う。
本報告は、従来の研究で論じられる「古方派の西洋医学への影響」を否定するものでは
ない。しかし、漢方医学と西洋医学それぞれの医学理論や当時の受容実態を明らかにするためには、「実証性」という論点以外での分析も不可欠であることを提示したい。
〈参考文献〉
・平野満「古方から蘭方へ―吉田長淑における蘭方内科の確立―」(駿台史学会『駿台史学』第45号、1978年)
・高野長英記念館『高野長英の手紙』(高野長英記念館、2000年)
・青木歳幸『江戸時代の医学』(吉川弘文館、2012年)
【開催案内】洋学史学会若手部会12月例会
洋学史学会若手部会では、下記日程にて研究報告会を開催いたします。ご関心のある方は奮ってご参加ください。
◆2025年度洋学史学会若手部会12月例会
日時:2025年12月6日(土)15時〜
オンライン開催(オンライン参加用Zoom URLは後日、報告資料と同時配布を予定)
事前登録制。登録はこちらから。
登録締切12月4日(木)
報告者 工藤璃輝(八戸工業高等専門学校 総合科学教育科 助教)
報告タイトル 「伝三浦梅園所有の顕微鏡の文献・実物調査」
〈報告要旨〉
三浦梅園(享保8年(1723)〜寛政元年(1789))のものと伝えられる顕微鏡が存在することは、1912年に出版された『梅園全集』にすでに記載がある。もしも三浦梅園が所有していたことが確かであれば、この顕微鏡は日本の顕微鏡としては最古級となる。
ところがこの顕微鏡は、科学史上大きな意味を持ち得るものであるにもかかわらず、大雑把な調査しかされて来なかった。この顕微鏡を扱った先行研究はいくつか存在するものの、それらの間で顕微鏡に搭載されているレンズの枚数が一致していないなどの問題を抱えている。
先行研究においてこの顕微鏡が梅園所有のものであったとされる根拠は、梅園の詩「吉雄耕牛西洋ノ管窺鏡画ヲ恵マルヲ謝ス」である。題の中にある「管窺鏡画」が顕微鏡のことではないかと言われてきたが、この説には異論がある。
本発表ではまず、「管窺鏡画」が顕微鏡のことであるかどうかについての議論を紹介する。次に、梅園が行なったとされる顕微鏡による観察を紹介する。そして、この顕微鏡の実物調査の結果を報告する。最後に、梅園の顕微鏡に関する議論を整理し、考察を行う。
〈参考文献〉
田中新一『顕微鏡の歴史』九州文庫出版社、1979年。
林春雄『写真で見る顕微鏡発達の史的展望』、1988年。
浜松昭二「<現代語訳>吉雄耕牛が西洋眼鏡絵を贈ってきたことに謝す」『大分梅園研究』第6号、1988年、112–119頁。
【開催案内】洋学史学会若手部会8月例会
洋学史学会若手部会では、下記日程にて研究報告会を開催いたします。ご関心のある方は奮ってご参加ください。
◆2025年度洋学史学会若手部会8月例会
日時:2025年8月2日(土)15時〜
オンライン開催(オンライン参加用Zoom URLは後日、報告資料と同時配布を予定)
報告者:増田友哉(中央大学人文科学研究所学振PD)
報告タイトル:「幕末という時代のなかの大和魂―大国隆正と「西洋」―」(仮)
事前登録制。登録はこちらから。
登録締切7月31日(木)
〈要旨〉
大国隆正は寛政4年(1793年)に津和野藩士の家に生まれ、明治4年(1871年)に没した。ラクスマンの根室来航(1792年)翌年に生まれた隆正の時代とは、アヘン戦争(1839年)、ペリー来航(1853年)等の相次ぐ対外的危機が、現実化した時代であった。その晩年には、徳川幕府の瓦解、明治維新という新たな時代の到来を経験しており、正に激動の時代を生きた国学者なのである。
本報告では、大国隆正の思想、とりわけ大和魂の理解を検討することで、幕末における国学思想の一形態を明らかにしたい。その際、隆正が摂取した西洋知識や列強への対抗意識、幕藩体制の動揺の経験が、彼の理想とした人間像、大和魂に大きな影響を与えていたことを分析し、幕末という時代に隆正が創造した大和魂の内実が如何なるものであったのかを明らかにする。
〈参考文献〉
南啓治「大国隆正『和魂』(やまとごころ)考」(『国学院雑誌』73巻、6号、1972年)。
松浦光修「大国隆正における維新前後の政治思想」(『皇學館大学文学部紀要』36輯、2000年)。
前田勉「大国隆正の「やまとごころ」論」『近世神道と国学』(ぺりかん社、2002年)。
塚越俊志「大国隆正の『新真公法論』と西洋の認識に関する一考察」(『京浜歴科研年報』36号、2024年)
【開催案内】洋学史学会若手部会6月例会
洋学史学会若手部会では下記日程にて、6月例会を開催いたします。例会はどなたでも参加できますので、ご関心のある方は奮ってご参集ください。
◆2025年度洋学史学会若手部会6月例会
日時:2025年6月7日(土)15時〜
オンライン開催(オンライン参加用Zoom URLは後日、報告資料と同時配布を予定)
事前登録制。登録はこちらから。
登録締切6月5日(木)
報告者:武正泰史(日本大学芸術学部非常勤講師)
報告タイトル「和算書『拾璣算法』の普及について(仮)」
〈要旨〉
久留米藩7代目藩主・有馬頼徸(1714–1783)の『拾璣算法』(1766年自序・1769年刊)は、18世紀中頃までの江戸時代の数学研究の成果を集成した書物であった。同書は出版後、広く普及し様々な数学者(和算家)、および天文暦学者に読まれていた。『拾璣算法』の記述は問題と数値解、数値解を得るための開方式(方程式)のみが記載されることが多く、そのため和算家は同書の解説書を執筆している。
本報告では、『拾璣算法』の普及と受容の様相について検討する。特に和算家による批判的な検討を含めた動的な受容と、天文暦学などの関連分野の研究者がいかに受容していたのかについて考察する。
【参考文献】
日本学士院編『明治前日本数学史』全5巻、岩波書店、1954–1960年。
【開催案内】洋学史学会若手部会4月例会・総会
洋学史学会若手部会では下記日程にて、総会と4月例会を開催いたします。例会はどなたでも参加できますので、ご関心のある方は奮ってご参集ください。
◆2025年度 洋学史学会若手部会総会(対面・オンライン併用)
日時:2025年4月5日(土)14:00~15:00
会場:ドットブリッジ神保町 - dot bridge神保町
(オンライン参加用Zoom URLは後日配布を予定)
※洋学史学会若手部会会員のみ対象
◆洋学史学会若手部会4月例会(Zoom併用)
日時:2024年4月5日(土)15:10〜 ※終了後に懇親会を予定。
会場:ドットブリッジ神保町 - dot bridge神保町
(オンライン参加用Zoom URLは後日、報告資料と同時配布を予定)
事前登録制、登録はこちらから(4月3日締切)
※会場はブログにて追ってお知らせします。
報告者:堅田智子(関西学院大学教育学部)
報告タイトル:呉秀三とハイデルベルク――『シーボルト先生其生涯及功業』をめぐるシーボルト家との交流――
〈報告要旨〉
日本におけるシーボルト研究史を語る上で、その最初期(1896-1926)を牽引した精神科医、医史学者呉秀三(1865-1932)の存在は大きい。外祖父に洋学者箕作阮甫、父に蘭方医呉黄石、従兄に歴史学者箕作元八をもつ呉が、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(Philipp Franz von Siebold, 1796-1866)に関心を抱いたのは自明のごとく思われる。しかし、呉のシーボルト研究の転機となったのは、精神病学研究のため、文部省外国留学生として1897(明治30)年に派遣されたドイツ、オーストリア留学、とりわけハイデルベルク滞在だった。
本報告では、呉のハイデルベルク滞在に注目し、おもに呉の著作や東京大学医学図書館所蔵資料、ブランデンシュタイン城シーボルト・アーカイヴ所蔵史料から、フィリップ・フランツの遺族であるアレクサンダー・フォン・シーボルト(Alexander von Siebold, 1846-1911)、ハインリッヒ・フォン・シーボルト(Heinrich von Siebold, 1852-1908)、ヘレーネ・フォン・ウルム=ツー=エアバッハ(Helene von Ulm zu Erbach, 1848-1927)との交流の実態を見ていく。そして、遺族との交流が呉のシーボルト研究にどのように生かされ、大著『シーボルト先生其生涯及功業』(1926年)の刊行に至ったのか、その過程を明らかにする。
〈参考文献〉
《一次史料》
呉秀三『シーボルト先生其生涯及功業』吐鳳堂書店、1926年。
Shûzô Kure und Friedrich M. Trautz, Philipp Franz von Siebold. Leben und Werk: Deutsche, wesentlich vermehrte und ergänzte Ausgabe. München: Iudicium Verlag 1996.
《二次文献》
沓澤宣賢「シーボルト研究史概観――我が国および外国における研究の跡を顧みながら――」『季刊日本思想史』No.55、1999年、ぺりかん社、110-130頁。
岡田靖雄『呉秀三――その生涯と業績――』思文閣出版、1982年。
堅田智子『アレクサンダー・フォン・シーボルトと明治日本の広報外交』思文閣出版、2023年。