洋学史学会若手部会

洋学史学会に所属する大学院生・学部生を中心とする若手部会です。

【紹介】本ブログおよび今後の開催予定について

 洋学史学会若手部会は、洋学史学会に正式に承認された支部であり、洋学史学会に所属する大学院生・学部生などを中心とする研究会です。原則として偶数月第1土曜日の午後に開催します。 各種研究報告はもちろん、洋学史研究に関連する情報収集・共有の場としていく予定です。洋学史学会非会員の方であっても、参加は可能です。本ブログでは、洋学史学会若手部会の活動について発信していきます。
2023年4月28日現在での会員数 45名(正会員28名、賛助会員17名)

 お問い合わせは、洋学史学会若手部会運営(yogakushi.wakate@gmail.com)までお願いいたします。Informationにて運営委員、会則、入会方法等についてご案内しています。

今後の開催予定について
 詳細は開催1ヶ月前を目途に更新予定です。

NEW!2024年度例会スケジュール】
2024年4月6日(土)
◆研究報告 *肩書は2024年2月末時点
 芦田雄樹(東京工業大学環境・社会理工学院社会・人間科学系社会・人間科学コース 修士課程)
 河瀬真弥(京都大学大学院博士後期課程/京都大学大学院教育支援機構奨励研究員)

【開催案内】洋学史学会若手部会・8月例会

洋学史学会若手部会では、下記日程にて8月例会を開催いたします。ご関心のある方はふるってご参集ください。

◆洋学史学会若手部会8月例会
日時:2024年8月3日(土)14:00〜17:10、終了後に茶話会を実施予定
開催方法:Zoomによるオンライン開催
(参加用URLは後日、レジュメと同時に配布予定)

事前登録制、登録はこちらから。
8月1日(木)締め切り

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報告者①:西嶋佑太郎(京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程/日本学術振興会特別研究員)
「訳語作成方法からみた『解体新書』の位置」
〈報告要旨〉
 学術用語を西洋の言語から日本語(漢語)に翻訳するとき、どう翻訳するか(訳語作成方法)と、その方法をどう自覚するか(方法論)とは異なるものである。杉田玄白らによる『解体新書』(1774年刊行)は、三訳法(翻訳、義訳、直訳)の整理(方法論)や、「神経」「盲腸」などの個々の訳語の創出という点が注目されてきた。一方で、実態としての訳語作成方法からみた場合に、『解体新書』の位置づけは必ずしも明確ではないように思われる。
 本報告では、大槻玄沢『重訂解体新書』「翻訳新定名義解」に挙げられる用語を、『解体新書』にさかのぼって原語と比較し、『解体新書』時点の訳語作成方法を素描する。続いて、先行する漢訳洋書等の訳語作成方法と比較する。結論として『解体新書』は、日本において西洋の言語から漢語へと模借法(loan translation, calque)を採用して大量に翻訳語を作成したことが特徴的であり、その後の学術用語翻訳の基礎となるものであったと言える。
〈参考文献〉
荒川清秀(2018)『日中漢語の生成と交流・受容 漢語語基の意味と造語力』、白帝社
(2022)『学与学之:江幕府翻《厚生新》研究』、東方書店
西嶋佑太郎(2024)「『重訂解体新書』の訳語作成方法」(『国語語彙史の研究四十三』、和泉書院)

報告者②:濱口裕介(東洋大学人間科学総合研究所客員研究員)
「水戸藩主徳川斉昭の蝦夷地開拓構想と「北海道建置論」」(仮)
〈報告要旨〉
 明治2年(1869)、松浦武四郎への諮問を経て明治新政府が蝦夷地を北海道へと改めたことは、日本地理像の大きな転換としてとらえることができる。通説では、この北海道を新設すべきという考え(「北海道建置論」)をはじめて主張した人物は、水戸藩主徳川斉昭(1800~1860)だといわれている。
 報告者は、以前にも天保年間に水戸藩による蝦夷地海防・開拓構想を斉昭みずからが書き付けた史料『北方未来考』について論じたことがある。その際は、斉昭が松前蝦夷地を呼ぶ際の呼称「北地」に着目しながら、斉昭の地理認識について検討した。今回の報告では、前稿やその後見出した関連史料などを踏まえつつ、斉昭の蝦夷地海防・開拓論を「北海道建置論」の系譜のなかに位置づけ、その先駆としての意義を再考してみたいと思う。
〈参考文献〉
岩下哲典ほか『東アジアの秩序を考える ―歴史・経済・言語―』(春風社、2017年)
永井博『徳川斉昭 ―不確実な時代に生きて―』(山川出版社、2019年)

 

【内容報告】2024年4月例会

 洋学史学会若手部会では4月例会を対面・オンライン併用のハイブリッド形式で開催しました。以下、その概要を報告いたします。

日時:2024年4月6日(土)14:00〜17:45
開催場所:対面(電気通信大学)、オンライン(Zoom)

報告者①:芦田雄樹(東京工業大学環境・社会理工学院社会・人間科学系社会・人間科学コース 修士課程)
報告タイトル:「「赤松小三郎」の語られ方―没後から戦前期までを対象に―」
 本報告は、上田藩士・赤松小三郎(1831~1867)について、現代の先行研究および幕末から戦前期の赤松小三郎の語られ方を通して、その情報・論点の整理を行おうとするものであった。
 報告者によると、赤松小三郎は、議会制度の幕府への建白、兵学書の翻訳などの事績がある一方で、その存在があまり知られておらず、史料が少ないため、具体的な行動履歴については不確定なことが多いという。『上田郷友会月報』や新聞記事などから赤松小三郎の語られ方を分析すると、暗殺された当時には注目されていたらしいことや、兵学に関する講義内容などが垣間見える一方で、行動履歴については、糸口がいくつか集まるものの、一次史料での裏付けが課題であることが示された。
 参加者からは、赤松の語学知識についての質問や、史料の記載内容の扱いの難しさなどについての意見が出された。

報告者②:河瀬真弥(京都大学非常勤講師)
報告タイトル:「『日本大辞書』における音義説の位置」
 本報告は、小説家としても知られる山田美妙の『日本大辞書』を対象とし、なかでも辞書の中で言及される音義説に注目し、その特徴を考察するものであった。
 音義説とは、例えばナ行の音には「滑らかな」という意味があるとするような語源理論で、現代では非科学的とされるものである。音義説のうち行ごとに意味を与える一行一義説として代表的な平田篤胤『古史本辞経』の記述と比較することで、平田篤胤流の音義説を受容していたことを示すとともに、その国粋主義が脱色されていることを示した。『日本大辞書』の音義説的説明に関連する事象として、山田美妙自身がもつ言語の法則への探求心や、音韻・音調を重視する態度があったことを指摘した。 
 参加者からは、『日本大辞書』の辞書としての位置づけや山田美妙の読書記録についての質問が出された。

情報共有会:阿曽歩(フェリス女学院大学講師
 例会報告に続いて情報共有会を実施した。今回は、フェリス女学院大学講師の阿曽歩氏が、2024年2月3日に就実大学(岡山県岡山市)で開催された吉備地方文化研究所シンポジウム「蘭学・洋学から近代の日本へ」に参加・発表した内容を報告した。2024年2月3日は本若手部会の2月例会と同日であり、惜しくも参加できなかった会員にとっては、その内容が共有される貴重な機会となった。各演題の概要やシンポジウムの様子のほか、阿曽氏の抱いた所感などが報告された。報告・質疑合わせて30分弱であったが、今後の会員の活動に向けての示唆にも富む、充実した内容であった。

文責・西嶋



【開催案内】洋学史学会若手部会総会・4月例会

洋学史学会若手部会では下記日程にて、総会と4月例会を開催いたします。例会はどなたでもご参加いただけますので、ご関心のあるかたはご参集ください。
※対面・オンラインの併用での開催です。

【洋学史学会若手部会総会・4月例会】
◆2024年度 洋学史学会若手部会総会(Zoom併用)
日時:2024年4月6日(土)13:00~13:50
会場:電気通信大学(東京都調布市) 東1号館806教室
(Zoom URLは後日、総会議題と同時配布を予定)

※洋学史学会若手部会正会員のみ対象

◆洋学史学会若手部会4月例会(Zoom併用)
日時:2024年4月6日(土)14:00〜17:45 ※終了後に茶話会、懇親会を予定。
会場:電気通信大学(東京都調布市) 東1号館806教室
(Zoom URLは後日、報告資料と同時配布を予定)

事前登録制、登録はこちらから。
※4月4日(木)18:00申込締切。

 報告者①:芦田雄樹(東京工業大学環境・社会理工学院社会・人間科学系社会・人間科学コース 修士課程)
「「赤松小三郎」の語られ方―没後から戦前期までを対象に―」

〈報告要旨〉
 上田藩士・赤松小三郎(1831―1867)は、議会制度導入を幕府などへ建白したことや『英国歩兵練法』などの兵書の翻訳などで知られるが、未だその功績についての評価は定まっていない。そこで本報告では、慶応3(1867)年に暗殺されて以降の赤松についての語られ方に焦点を当て、近代における赤松の評価を体系化することを目的とする。具体的には、同時代に生きた人物による暗殺直後の日記や、赤松に関わった人物による回想、その他赤松やその功績について書かれた諸記事を渉猟し、考察する。報告では、暗殺に関する記述のある『朝彦親王日記』や、赤松についての回想を聞き取った記事などを掲載している『上田郷友会月報』、『信濃毎日新聞』の赤松に関する言説を分析する。
 赤松は洋学者でありながら、洋学研究史において評価が定まったとは言えない。本報告で、赤松の洋学の評価にも言及し、歴史的意義についても検討したい。


〈参考文献〉
信濃毎日新聞社開発局出版部編『維新の信州人』(信濃毎日新聞社、1974年)
関良基『赤松小三郎ともう一つの明治維新―テロに葬られた立憲主義の夢』(作品社、2016年)
宮地正人『地域の視座から通史を撃て!』(校倉書房、2016年)

報告者②:河瀬真弥(京都大学大学院博士後期課程/京都大学大学院教育支援機構奨励研究員*)
「『日本大辞書』における音義説の位置」


〈報告要旨〉
 山田美妙『日本大辞書』(1892~1893年刊)は大槻文彦『言海』(1889~1891年刊)に触発されて編纂された国語辞書である。『日本大辞書』は『言海』に比べて記述が粗く、完成度の面において『言海』には及ばないとするのが、国語学史上の評価である。
 さて、『日本大辞書』には「音義説」という、現在では非科学的とされる語源理論に基づく記述が見られる。音義説とは、例えば「『な』『に』『ぬ』『ね』『の』には、『滑らかな』という意味がある」といったように、各々の「音」には「義」(意味)があるとする語源理論である。音義説という非科学的な理論を取り入れているということを理由に、『日本大辞書』の不出来をさらに追認することはたやすい。しかし、明治時代の国語学界の性格を清濁併せ呑んで全体的に把握しようという観点からは、音義説のどのような点に『日本大辞書』が惹かれたのか、という課題に取り組まなければならない。
 発表者は上記の課題について報告を行う。また、『日本大辞書』はどのような資料に依拠して音義説を取り入れたのか、『日本大辞書』の音義説は従来の音義説と比べてどのような特徴を持つか、という点についても報告する。

〈参考文献〉
河瀬真弥(2023)「『日本大辞書』における用例収集法の研究 序説:中古文学における「あさまし」を例に」(『京都大学国文学論叢』49)
古田東朔(1971)「近世」(古田東朔、築島裕『国語学史』東京大学出版会、第3章)
山田忠雄(1981)「言海以後」(山田忠雄『近代国語辞書の歩み:その模倣と創意と』上、第3部第2章、三省堂)
*肩書は2024年3月4日現在。

問い合わせ先:yogakushi.wakate@gmail.com(洋学史学会若手部会運営)

【内容報告】2024年2月例会

 洋学史学会若手部会では2月例会を対面・オンライン併用のハイブリッド形式で開催しました。以下、その概要を報告いたします。

日時:2024年2月3日(土)14:00〜18:00
開催場所:対面(電気通信大学)、オンライン(Zoom)

報告者①:中里灯希(一橋大学大学院社会学研究科修士課程)
報告タイトル:「斎藤阿具の歴史観」

報告中の風景(1)

 本報告では、明治期から昭和初期の教育者であり、日蘭交渉史研究者である斎藤阿具の著作類を、日蘭交渉史の先行研究ではなく、19世紀後半から20世紀初頭に生きた研究者の歴史観を知ることができる「史料」と捉えた。また、当時の教育者・研究者が歴史学に対してどのような考え方を持っていたか、などを考察した。
 報告者は、まず、斎藤が学生時代にドイツからのお雇い外国人であるルートヴィヒ・リースから歴史学を学んだことの意義として、実証史学の重視を指摘した。その上で、著作類の内容と叙述の傾向から、斎藤が、リースの伝えた実証史学を受容した一方、西洋流の、「東洋史」が含まれていない歴史学に限界を感じており、歴史学を、世界情勢における自国の立ち位置を確認し、自国を取り巻く問題を明らかにするツールとして位置付けていたことを明らかにした。
 また報告者は、修士論文において、斎藤がドゥフ研究を行った理由や、教育家としての歴史学と、研究者としての歴史学のズレなどを指摘したうえで、斎藤の人物研究を行う旨を、今後の展望として示した。
 参加者と報告者で、斎藤がドゥフを研究した経緯や、同時代史的に斎藤の目指した歴史学がどのように評価できるのか、教え子への影響などに関する質疑応答がなされた。

報告者②:布川寛大(國學院大学大学院博士課程後期)
報告タイトル:「吉田松陰による九州遊学の再検討−西洋列強情報の受容と反応−」

報告中の風景(2)

 本報告では、長州藩士・兵学者の吉田松陰が実施した九州遊学の再検討を通じて、近世後期における、ペリー艦隊来航前の西洋列強情報の受容と、その影響について考察した。その事例の一つを示すべく、遊学の意義を、吉田個人への影響から考え、時期ごとに分析した。
 報告者によると、遊学以前、吉田は『坤輿図識』を学ぶなど、ある程度西洋列強情報に接しており、英仏を忌避し、西洋砲術に対する和流砲術の優位性に自信があったことなどを示した。遊学中については、彼の遊学での読書活動の全体像を確認し、吉田の関心が、「西洋列強情報」から、「儒学に基づいた和漢古今の事蹟」へと変化したことを示した。遊学後、吉田は兵学の諸流派の統一を目指し、その方法は儒学的な心の修養であった。つまり、「外」である西洋列強情報を集めていた吉田が行きついたのは、「内」である東アジア文化圏共通の規範である儒学の再評価であった。遊学以前の吉田の西洋列強情報との接点や、特定の書籍への注目にとどまっていた、といった先行研究での課題を克服した。
 参加者からは、吉田が行った九州遊学の同行者の有無や費用などの確認や、オランダをどう見ていたかなどの点について質疑がなされた。

                               (文責:芦田雄樹)

【開催案内】洋学史学会若手部会2月例会

洋学史学会若手部会では、下記のとおり2月例会を開催します。
ご関心のある方はふるってご参集ください。
※対面・オンラインの併用での開催です。

◆洋学史学会若手部会2月例会(Zoom併用)
日時:2024年2月3日(土)14:00〜17:45 ※終了後に茶話会、懇親会を予定。
会場:電気通信大学(東京都調布市) 東1号館806教室
(Zoom URLは後日、レジュメと同時配布を予定)

事前登録制、登録はこちらから。
※2月1日(木)18:00申込締切。


報告者①:中里灯希(一橋大学大学院社会学研究科修士課程)
「斎藤阿具の歴史観」

〈報告要旨〉
 明治期から昭和初期にかけて活躍した教育者・日蘭交渉史研究者である斎藤阿具(1868-1942)は、第一高等学校在職中の1922(大正11)年に、『ヅーフと日本』を刊行した。『ヅーフと日本』は、東京帝国大学文科大学史学科で西洋流の歴史学研究手法を学んだ斎藤が、きわめて学術的な筆致によって、19世紀初頭のオランダ商館長ヘンドリック・ドゥフ(1777–1835)に関する論考を行った研究書として知られる。本書の中には、斎藤の歴史観にもとづくドゥフ評価と考えられる文章を数点確認することができる。こうした傾向は、斎藤の他の著作『近世史』(1897)や『西力東侵史』(1902)にも認められるものである。
 本報告では、『ヅーフと日本』を始めとする斎藤の著作類を、日蘭交渉史の先行研究としてではなく、19世紀後半から20世紀初頭を生きた研究者の歴史観を知ることができる「史料」として捉え、当時の教育者・日蘭交渉史研究者の歴史観がいかなるものであったのか、考察する。

〈参考文献〉
永原慶二『二〇世紀日本の歴史学』(吉川弘文館、2003年)
小澤実・佐藤雄基編『史学科の比較史 歴史学の制度化と近代日本』(勉誠出版、2022年)

報告者②:布川寛大(國學院大学大学院博士課程後期)
「吉田松陰による九州遊学の再検討−西洋列強情報の受容と反応−」(仮)

〈報告要旨〉
  本報告は、近世後期の長州藩士で兵学者の吉田松陰を取り上げ、同人が嘉永3年(1850)に実施した九州遊学中の読書活動における興味の変化に注目することで、西洋列強情報が同人へ与えた影響を考察するものである。
 古く、松陰による九州遊学は、晩年の尊皇思想とのかかわりから、主に陽明学や水戸学との関係で評価をされてきた。一方、近年では、「ウェスタン・インパクトとの邂逅」と評価されるなど、同遊学中の松陰による積極的な西洋列強情報の学習が注目されている。しかし、これらの研究・評価は、遊学中における松陰の読書活動のうち、特定の書籍との関係から九州遊学の意義を論じる傾向にあり、改めてその全体像を総合的に理解する必要があると考えている。
 そこで本報告では、主に松陰が遊学中につけた日記から読書記録を復元することで、遊学中における読書傾向の変化に注目したい。これは、藩の兵学者としてその対応に迫られる松陰個人と西洋列強情報との関係を明らかにするとともに、西洋列強の脅威が具体化しはじめる当該期において、西洋列強情報が近世社会へ受容される際の反応を示す一事例になると考えている。


〈参考文献〉
山口縣教育會編『吉田松陰全集(定本版)』第七巻(岩波書店、1935年)
桐原健真『吉田松陰の思想と行動−幕末日本における自他認識の転回−』(東北大学出版会、2009年)
栗田尚弥「葉山佐内の思想に関する一考察−「思想家」吉田松陰誕生前史−」(『法学新報』第9・10号、2015年)

問い合わせ先:yogakushi.wakate@gmail.com(洋学史学会若手部会運営)

【新企画】「情報共有会」の実施について

 2023年10月例会にて、洋学史学会若手部会において新たな企画として「情報共有会」を実施しました。第一回は、東北大学大学院の増田友哉氏に「ライデン大学留学報告」と題して報告をしてもらいました。

東北大学大学院・増田友哉氏(Zoomより)

留学先のライデン大学図書館Asian Library(Zoomより)

 報告、質疑を含めて25分という短い時間でしたが、オランダとりわけライデン大学の様子が参加者たちによく伝わり、充実した会となりました。急な依頼にもかかわらず、快く引き受けて頂いた増田氏に厚く御礼申し上げたいと思います。
 「情報共有会」は、若手研究者が互いの研究活動について共有する場として、今後も例会ごとに実施を予定しています(次回は2024年2月例会を予定しています)。ご報告希望の方は、部会運営にメール、もしくは例会開催時に気軽にお声がけください。

                              (文責・橋本真吾)