洋学史学会若手部会

洋学史学会に所属する大学院生・学部生を中心とする若手部会です。

【第10回若手部会】内容報告

第10回若手部会を開催いたしました。今回は、会員2名による研究報告でした。以下にその概要を報告いたします。

 

日時:2018年2月2日(土)13:00~16:15

 

研究報告①

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報告者:太田由佳(国立科学博物館協力研究員)

題目:「本草学と洋学:近年の研究成果の整理と課題」

 まず本草・博物学史研究について、1999年の洋学史学会シンポジウム「本草学と博物学そして洋学」にみられる研究史上の論点が提示され、とりわけ遠藤正治氏による小野蘭山を洋学史のなかで扱う視点の重要さが指摘された。それまでの本草・博物学史研究においては、白井光太郎『日本博物学年表』(1891年)や上野益三『日本博物学史』(1973年)の研究がたびたび引用されるにとどまり、小野蘭山を洋学との関係から扱う視点は乏しかった。

 今後の課題として、蘭山以前の蘭学と本草学の関係や、西洋植物学と接続していない蘭山門人にも目を向ける必要があると示された。最後に、そうした課題解決につながる可能性のある資料として、山本亡羊の5男章夫が明治28(1895)年に開いた京都博物会の参加者名簿と思われる一枚刷(「京都博物会人名」)が示された。これを受けてフロアからは、「京都博物会人名」という資料、そこに記された人名一覧の意義や興味深さについて指摘があった。現段階ではこの資料の性質は殆ど明らかになっていないため、特に「山本読書室資料」(京都府)の調査を含めた、今後の研究展望について言及があった。

 

研究報告②

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報告者:阿部大地(西南学院大学大学院博士後期課程)

題目:「明治期に開催された物産会について」

 本報告では、江戸時代に多数開催されていた物産会が、博覧会が興隆する明治期以降どのように開催されていたのかという問題意識から、明治期に開催された物産会の開催実態を整理することを目的とした。
 その一例として、 明治10(1877)年以降における物産会の動向を京都と三重という2地域の比較がなされた。明治期の物産会の特徴として、明治5(1872)年頃までは江戸期とほぼ変わらない形態で開催されていることが指摘された。明治15(1882)年頃より、確認できるだけでも京都と三重で110回もの物産会が開かれており、再び物産会が興隆した。これにより、従来、定説化していた「物産会から博覧会へ」という構図そのものの見直しが必要と結論づけられた。
 質疑応答では、物産会が誰を対象に開かれたのかという視点が必要とのコメントがされた。このほか、物産会の開催主体は地域で独立したものだったのか、あるいは中央政府となんらかの関係を持つものであったのかなど、主催者の性格にも目を向ける必要があるとの指摘もなされた。

                                (文・塚越俊志)