洋学史学会若手部会

洋学史学会に所属する大学院生・学部生を中心とする若手部会です。

【洋学史学会若手部会8月オンライン例会】開催案内

 洋学史学会若手部会では、新型コロナウイルス感染拡大防止を目的に、当面の間、オンラインにて例会を開催することといたしました。
 緊急事態宣言は解除されましたが、今なお感染拡大防止の観点から、これまで同様の一堂に会する例会開催は現在も難しい現状にあります。そうした中でも、研究成果を報告する場を維持したい、若手研究者同士の交流を深め、研究活動のモチベーションを高めたいとの思いから、オンラインによる例会の開催を決定いたしました。
 8月は下記日程にて、オンライン例会を開催いたしますので、ふるってご参集ください。

【洋学史学会8月オンライン例会】
◆8月1日開催
日時:8月1日(土)14:00~15:00(例会終了後に茶話会を予定)
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし
ただし、事前登録制
※7月29日(木)17時入力締め切り
例会準備の関係上、8月に開催される2回分の参加可否をまとめてとります。入力後に変更が生じた場合は、運営まで個別にご相談ください。

報告者:山本瑞穂(東京大学大学院人文社会系研究科修士課程)
報告タイトル:「文化年間の幕府周辺における日露交渉史の把握の深化―大槻玄沢『北辺探事補遺』を中心に―」

【要旨】
 本報告の目的は、文化年間のロシアとの接触を契機に、幕府に近い学者による、海外情報に基づいた日露交渉史の整理を題材に、幕府に対してオランダ商館が果たした情報提供者としての役割を検討することである。
 仙台藩医・蘭学者の大槻玄沢による文化4年(1807)の著作『北辺探事 補遺』は、蝦夷地に出張する若年寄堀田正敦に提出された北方研究書である。同書において玄沢は、翻訳蘭書・オランダ通詞の書付・仙台藩の記録等の閲覧を通して、元文4年(1739)仙台沖出没の異国船が、最初の来日ロシア船であるとした。一方で、既に学問所儒者も、文化元年(1804)のレザノフ来航に際して老中に提出した上申書類において、ロシアの日本近海進出は元文年間から始まるとみなしており、その情報源はおそらくオランダ風説書である。
 本報告では、上記の学者の情報源の検討を通じ、オランダ商館を日露関係の中に位置づけることを試みる。

【参考文献】
・郡山良光『幕末日露関係史研究』、国書刊行会、1980年。
・藤田覚『近世後期政治史と対外関係』、東京大学出版会、2005年。
・早稲田大学図書館所蔵、大槻茂質撰『北邉探事』(洋学文庫08 A0050)。
・添川栗編著『有所不為斎雑録』第3集第24、中野同子代謄写、1942年。

 

◆8月8日開催
日時:8月8日(土)14:00~15:00(例会終了後に茶話会を予定)
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし
ただし、事前登録制
※7月29日(木)17時入力締め切り
例会準備の関係上、8月に開催される2回分の参加可否をまとめてとります。入力後に変更が生じた場合は、運営まで個別にご相談ください。

報告者:阿曽歩(国際基督教大学博士研究員)
報告タイトル:「大槻平泉旧蔵キリスト教関連資料に関する考察」

【要旨】
 
2013年に大槻家の御子孫により一関市博物館に寄贈された「大槻家寄贈資料」の約5,000点の中に、仙台藩藩校養賢堂の学頭であった大槻平泉(1773-1850)が旧蔵していた「蘭文旧約聖書ダニエル書」という資料がある。ダニエル書とは、資料の名前通り、旧約聖書の内の一篇である。本資料には、ダニエル書に関するオランダ語の文章とその内容を示す朱字が書かれている。さらに、本資料の裏表紙には、大槻玄沢の孫で、磐渓の息子である文彦により、史料に書き込まれた朱字が平泉の筆跡であろうことが記されている。
 
本資料を分析した結果、本資料は聖書の内容そのものではなく、当時蘭学者の間に広く出回っていたオランダ語の百科事典の一項目を写したものであったことがわかった。
 
近世後期ともなると、知識人の間でキリスト教に関する知識が広まっていたことは度々言われることである。しかし、どういった書物から知識を得ていたのかについては不明瞭な点が少なくない。本報告では、近世後期におけるキリスト教知識の受容という側面から、本資料の持つ意味について考察を試みたい。

【参考文献】
小岩弘明「大槻文彦自筆履歴書―大槻家旧蔵資料から―」『一関市博物館研究報告』17号、一関市博物館、2014年

【7月オンライン例会】内容報告

 洋学史学会若手部会は7月オンライン例会を開催し、2名の会員による研究報告が行われました。以下にその概要を報告致します。

《7月オンライン例会①》
日時:2020年7月4日(土)14:00~15:00
報告者:堅田智子(流通科学大学商学部講師)
報告タイトル:「ウィーン万国博覧会におけるシーボルト兄弟の役割」

 本報告では、『澳國博覧會参同記要』、展示品を収めた写真アルバム、田中芳男が作成した『外国捃拾帖』、アレクサンダーの著作、ブランデンシュタイン城シーボルトアーカイヴ所蔵資料、オーストリア国立工芸美術館により刊行された雑誌などの日独澳に点在する資料を多角的かつ複合的に分析し、ウィーン万国博覧会におけるシーボルト兄弟の役割を考察するものである。従来、シーボルト兄弟と日本の関係は日独関係史のなかで論じられてきたが、日独澳関係史へと広げようとする挑戦的な視座を示すものでもある。
 ウィーン万博に関わったアレクサンダー・フォン・シーボルトとハインリッヒ・フォン・シーボルトの役割と連携、彼らによって紹介された日本文化、外交の場という万博の役割を明らかにした。 
 報告終了後、ブランデンシュタイン城のシーボルトアーカイヴの資料について、『外国捃拾帖』について、オーストリアでの「日本古美術展」についてなどの質問がなされた。また、報告者が研究代表者になっている科学研究費若手研究「世紀転換期における日本イメージの対独発信:広報文化外交と戦時国際法の利用」に対し、期待を寄せるコメントがなされた。

                              (文・臺由子)
                             

《7月オンライン例会②》
日時:2020年7月18日(土)14:00~15:00
報告者:橋本真吾(東京工業大学非常勤講師)
報告タイトル:「文政後期の海外情報活動と地理書翻訳-高橋景保の北米大陸への関心をめぐって」

 本報告は、文政後期に翻訳された地理書がより詳しく、新しい物へと変化した背景を御書物方奉行兼天文方筆頭の高橋景保の「北米大陸への関心」をもとに解明することを目的としたものであった。
 ゴロヴニン事件を契機にロシア語研究・北方事情への関心を深めていた景保はゴロヴニン事件の背景に「露米会社」の存在があった事を知る。景保は参府中にド・ストゥルレルやシーボルトとの会合で「北米」の状況を訊ね、シーボルトから贈呈されたジェームズ・タキー『海洋通商地理学』を蕃書和解御用御用訳員であった青地林宗へ北米大陸北西岸部に関する箇所を翻訳させるなど強い関心を持っていたことを指摘した。また、文政後期以降の『輿地誌略』『輿地志』の翻訳には景保の対外関心が反映されており、天文方蕃書和解御用の地理書翻訳において景保のリーダーシップが必要とされていた可能性を示した。
 質疑応答では、シーボルト研究の観点からの指摘や「北米」「西北亜墨利加」が具体的に指す場所、翻訳されることとなった地理書の輸入時期についての質問がなされた。
                            (文・岸本萌里)

【紹介】会員の翻訳・論文に関する新聞掲載情報(堅田智子氏、藤本健太郎氏)および長崎市発行の歴史研究誌情報

 今回は、洋学史学会若手部会会員で長崎市文化観光部長崎学研究所学芸員藤本健太郎氏に、長崎市発行の歴史研究誌情報について、ご紹介いただきました。

 『長崎新聞』2020年6月21日付朝刊に、長崎県内の博物館や研究機関が発刊した歴史研究誌4冊に関する紹介記事が掲載されました。この中で当会会員2名(堅田智子氏:『鳴滝紀要』、藤本健太郎:『長崎学』)の翻訳および論文が掲載されていますのでご紹介します。

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『長崎新聞』(2020年6月21日朝刊)

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『長崎新聞』(2020年6月21日朝刊)


 堅田智子氏の翻訳「男爵アレクサンダー・フォン・シーボルト『公爵伊藤博文に関する個人的回想』」が掲載されている長崎市シーボルト記念館の機関誌『鳴滝紀要』は、これまでシーボルト及びその門人たちに関する研究、洋学に関する研究成果を数多く掲載してきた雑誌です(既刊30号)。

 過去の掲載論文等の一覧が以下のとおり公開されています。
https://www.city.nagasaki.lg.jp/kanko/820000/828000/p009233_d/fil/kiyo2020.pdf

 同じく長崎市が運営する長崎市長崎学研究所でも機関誌として『長崎学』を発行しています(既刊4号)。最新刊には、藤本健太郎の論文「長崎連合町会の開設と展開」が掲載されています。
 『長崎学』では古代から近代まで長崎をキーワードの一つとした歴史及び文化に関する研究成果を幅広く対象として、長崎市に所属する職員のほか、外部の学術研究者からも論文等を寄稿いただいています。
 『長崎学』では第2号までの論文等を一部データ公開しています。
https://www.city.nagasaki.lg.jp/syokai/720000/724000/p028544.html 

 長崎市役所では現在、『鳴滝紀要』と『長崎学』の2つを歴史研究誌として刊行しています。いずれも洋学関連の研究を多く収録しておりますので、ぜひともご覧ください。

              (長崎市文化観光部長崎学研究所学芸員 藤本健太郎)

 

 ご存じのとおり、長崎は「四つの口」の一つとして、江戸時代でも海外に開かれた場所でした。単に地方史にとどまらず、洋学という広い視点から長崎やその歴史を「長崎学」としてとらえ直す試みは、古くから開明的な長崎らしい取り組みではないでしょうか。

※長崎学とは…
 長崎学とは、長崎港を中心に発展してきた長崎市域を出発点とする、長崎の歴史や文化に関する学問・研究と定義しています。
 大正から昭和にかけて活躍し、『長崎市史風俗編』、『長崎洋学史』などの著作で知られる古賀十二郎先生をはじめとして、現在に至るまで大学、博物館、郷土史研究団体を中心に、数多くの長崎学に関する研究が発表・蓄積されてきました。

                   *長崎市HP文化観光部長崎学研究所より引用
          https://www.city.nagasaki.lg.jp/soshiki/129/190300250/index.html

                     (流通科学大学商学部講師 堅田智子)

【洋学史学会若手部会7月オンライン例会】開催案内

 洋学史学会若手部会では、新型コロナウイルス感染拡大防止を目的に、当面の間、オンラインにて例会を開催することといたしました。
 緊急事態宣言は解除されましたが、今なお感染拡大防止の観点から、これまで同様の一堂に会する例会開催は現在も難しい現状にあります。そうした中でも、研究成果を報告する場を維持したい、若手研究者同士の交流を深め、研究活動のモチベーションを高めたいとの思いから、オンラインによる例会の開催を決定いたしました。
 なお、オンライン形式の例会は、月に2度、隔週土曜日に開催予定です。7月は下記日程にて、オンライン例会を開催いたしますので、ふるってご参集ください。

 

【洋学史学会7月オンラン例会】
74日開催
日時:74日(土)14:00~15:00(例会終了後に茶話会を予定)
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし
ただし、事前登録制https://forms.gle/ZFi6DqbSskdW235N9
72日(木)17時入力締め切り
例会準備の関係上、7月に開催される2回分の参加可否をまとめてとります。入力後に変更が生じた場合は、運営まで個別にご相談ください。 

報告者:堅田智子(流通科学大学講師)
報告タイトル:「ウィーン万国博覧会におけるシーボルト兄弟の役割」

【要旨】
 1873(明治6)年51日から1031日まで、オーストリア・ハンガリー帝国の帝都ウィーンにおいて、万国博覧会が開催され、日本が一国家として初めて公式に参加した。日本では、ウィーン万博の準備・参加のため、正院に博覧会事務局が設置された。そして、民部省雇であった兄アレクサンダー・フォン・シーボルト(Alexander von Siebold, 1846-1911)は「外人應接」として、駐日オーストリア・ハンガリー帝国公使館の臨時通訳生であった弟ハインリッヒ・フォン・シーボルト(Heinrich von Siebold, 1852-1908)は「通譯及編集」として、博覧会事務局に招聘された。
 ウィーン万博においてアレクサンダーが真っ先に取り組んだのは、「巨大物品」の選定であった。さらにアレクサンダーは、岩倉遣欧使節団の通訳として、オーストリア皇帝夫妻主催の宮廷晩餐会に参加した。一方、ハインリッヒは、万博閉会後に日本の展示品を売却する際、兄とともに交渉に熱心に携わった。売却された展示品や、のちにハインリッヒが寄贈した日本関係コレクションは、現在、ウィーン世界博物館やオーストリア国立工芸美術館(MAK)に現存する。
 本報告では、『澳國博覧會参同記要』、展示品を収めた写真アルバム、田中芳男が作成した『外国捃拾帖』、アレクサンダーの著作、ブランデンシュタイン城シーボルト・アーカイヴ所蔵資料、MAKにより刊行された雑誌などを多角的に分析する。そして、シーボルト兄弟がウィーン万博においていかなる役割をはたしたのか、明らかにする。 

【参考文献】
· Siebold, Alexander von. Persönliche Erinnerungen an den Fürsten Ito Hirobumi In: Richard  Fleischer (Hg.), Deutsche Revue über das gesamte nationale Leben der Gegenwart, Jg.35, Bd.2, Leipzig, Stuttgart: Verlag von Trewendt, 1910, S.214-230.
· 田中芳男、平山成信編『澳國博覧會参同記要』、森山春雍、1897年。
· 早稲田大学図書館所蔵『澳國維府博覧會出品撮影写真帖』1873年。
· 拙稿「明治政府外交官アレクサンダー・フォン・シーボルトと『視覚による広報』の場としてのウィーン万博」日高薫責任編集、国立歴史民俗博物館編『異文化を伝えた人々――19世紀在外日本コレクション研究の存在――』臨川書店、2019年、69-82頁。

 

718日開催
日時:718日(土)14:00~15:00(例会終了後に茶話会を予定)
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし
ただし、事前登録制https://forms.gle/ZFi6DqbSskdW235N9
※72日(木)17時入力締め切り
例会準備の関係上、7月に開催される2回分の参加可否をまとめてとります。入力後に変更が生じた場合は、運営まで個別にご相談ください。

報告者:橋本真吾(東京工業大学非常勤講師)
報告タイトル:「文政後期の海外情報活動と地理書翻訳―高橋景保の北米大陸への関心をめぐって」

【要旨】
 本報告の目的は、御書物奉行兼天文方筆頭であった高橋景保の海外情報活動との関連から、文政後期に蘭学者が行なった地理書翻訳の背景について考察することにある。
 景保は、ゴロヴニンがヨーロッパで出版した『日本幽囚記』の日本語訳『遭厄日本紀事』が完成した1825(文政8)年以降、ロシア人の動向、とりわけ日本の北方における露米会社の活動に関心を寄せていた。動向調査の過程で、露米会社が北米大陸に展開している情報を掴んだ景保は、次第に北米大陸の情勢に関心を持ち始めたことが考えられる。
 当時北米情勢を知る手がかりとなった翻訳情報は、古い蘭書に依拠していたため、その多くが時代錯誤のものだった。そのため、1826(文政9)年、参府したフォン・シーボルトとの会談で北米に新たに米国が誕生したことなどを告げられた景保は、近年の世界情勢の変化に驚いたとされる。そこで世界地理を把握する必要性を感じた景保は、幕府天文方での地理書翻訳事業の推進を思案したことが考えられる。
 以上を踏まえ本報告では、従来の研究が言及しなかった文政期の地理書翻訳への景保の関与を明らかにし、景保の海外情報活動を、北米大陸への関心という従来とは異なる視点から洋学史に位置づけることを試みる。

【参考文献】
呉秀三,1967年(→初版:1896年,第2版:1926年),『シーボルト先生 1 その生涯及び功業』(岩生成一解説),平凡社.
上原久,1977年,『高橋景保の研究』,講談社.
石山洋,1984年,「地理学」中山茂編『幕末の洋学』,ミネルヴァ書房.
ドベルグ・美那子,1991年,「高橋景保とJ.W.ド・ストゥルレル―『丙戌異聞』成立とその前後」『日蘭学会会誌』31号,日蘭学会.
横山伊徳,2013年,『日本近世の歴史 5 開国前夜の世界』,吉川弘文館.

【6月オンライン例会】内容報告

 洋学史学会若手部会初の試みとして、隔週土曜日にオンライン例会を開催いたしました。全国各地に居住する会員が参集できたのも、オンライン例会ならではなのかもしれません。例会後に開催した茶話会(情報交換会)も、会員同士が久ぶりに顔をあわせ、近況報告などが行われました。少しずつではありますが、通常の例会の姿を取り戻しつつあります。
 以下に例会の概要を報告いたします。

《6月オンライン例会①》
日時:2020年6月6日(土)14:00~15:00
報告者:武正泰史(東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程)
報告タイトル:「和算書『拾璣算法』に関する検討―秘伝とその普及について」

 本報告は、和算書『拾璣算法』(1766年自序・1769年刊)について、本書に記される秘伝の実態や出版状況などを解明することを目的としたものであった。
 まず、久留米藩士・吉村光高『計子秘解』(1770年成)の自序を読み解くことで、『拾璣算法』の編著者・豊田文景は、久留米藩第7代藩主・有馬頼徸である可能性が極めて高いことを実証的に示した。また『拾璣算法』に記される秘伝「点竄術」の大部分は、頼徸『点竄探矩法』(1747年成)からの引用であることや、頼徸は入江修敬から点竄術を学んだであろうことを指摘した。さらに『拾璣算法』の諸本50点を書誌調査した上で、江戸・須原屋茂兵衛を中心とする初版本から京都・天王寺屋市郎兵衛を中心とする求版本に至るまで、その出版状況の流れを整理・報告し、本書の需要の大きさを確認した。
 質疑応答では、和算史における『拾璣算法』の位置づけや意義、読者層の問題、秘伝公開による周囲の反応、頼徸の学習歴に関する質問がなされた。また、『拾璣算法』を出版した頼徸の意図や、本書を売り出す際の出版戦略(出版ルート)に関することなども議論された。                                      
                              (文・吉田宰)

《6月オンライン例会②》

日時:2020年6月20日(土)14:00~15:00
報告者:阿部大地(佐賀県立博物館学芸員)
報告タイトル:「ウィーン万国博覧会に向けた出品準備と『産物大略』の影響」

 1872年正月、明治新政府はウィーン万博への展示品を収集するため、太政官布告によって、全国に資料の収集を求めた。その際、博覧会事務局が「産物大略」を作成し、各地で収集されるべき品々のリストを各県に配布した。本報告は、「産物大略」を送付された各府県が、いかにその命に応えようとしたかを、いくつかの県の事例を取り上げながら明らかにしたものであった。
 報告後の質疑では、「産物大略」のあとに編纂された『府県物産志』などの成立時期、「産物大略」作成時に参照された情報、ウィーン万博における大隈重信・佐野常民の位置づけ、「産物大略」に占める鉱物の多さの理由、展示品に関するキャプション作成の有無、「産物大略」成立後ののにどのように使われたか、本報告の博士論文全体における位置づけなどが議論された。

                             (文・藤本大士)



 

【洋学史学会若手部会6月オンライン例会】開催案内

  洋学史学会若手部会では、新型コロナウイルス感染拡大防止を目的に、当面の間、オンラインにて例会を開催することといたしました。
 緊急事態宣言下にあっては、これまでのように一堂に会し、研究発表や意見交換を行なうことは困難です。そうした中でも、研究成果を報告する場を維持したい、若手研究者同士の交流を深め、研究活動のモチベーションを高めたいとの思いから、オンラインによる例会の開催を決定いたしました。
 なお、オンライン形式の例会は、機器やインターネット回線への負担等を考慮し、これまでの通常例会と異なり、月に2度、隔週土曜日に開催予定です。下記日程で初のオンライン例会を開催いたしますので、ふるってご参集ください。

【洋学史学会若手部会6月オンライン例会】
◆6月6日開催
日時:6月6日(土)14:00~15:00 (例会終了後に茶話会を予定)
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし
ただし、事前登録制(https://forms.gle/ysZoSSUNuP2YiNS6A
※6月4日(木)17時入力締切

例会準備の関係上、6月に開催される2回分の出欠をまとめてとります。入力後に変更が生じた場合は、運営まで個別にご相談ください。

報告者:武正泰史(東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程)
報告タイトル:「和算書『拾璣算法』に関する検討―秘伝とその普及について」

【要旨】
 和算書『拾璣算法』(1766自序・1769年刊)は、久留米藩7代目藩主有馬頼徸(1714-1783)が豊田文景の名前で執筆し、出版したとされている。同書は、関流という和算家集団の間で、秘伝とされてきた知識を、出版物として初めて公にしたとされてきた。多くの和算家に読まれたと推察され、新庄藩士安島直円(1732-1798)による『拾璣解』など、解説書が存在する。また、麻田剛立(1734-1799)といった天文暦学者も同書に言及しており、その影響力の大きさも推察できる。
 しかし、同書が初版の出版以降、江戸時代を通してどのように出版され、普及したのか明らかになっていない。そこで本報告では、現存する『拾璣算法』の書誌情報から、初版以降の出版状況を確認する。また、有馬が豊田の名前で同書を著したと確実に示した上で、同書により普及した内容、特に関流の秘伝の内容を、有馬がどのように学んだのかを明らかにする。以上の議論から、有馬はなぜ秘伝を公開したのか、その意図を考察する。

【参考文献】
日本学士院編『明治前日本数学史』岩波書店、1954-1960年。
米光丁、藤井康生『拾璣算法―現代解と解説』私費出版、1999年。

◆6月20日開催
日時:6月20日(土)14:00~15:00(例会終了後に茶話会を予定)
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし
ただし、事前登録制(https://forms.gle/ysZoSSUNuP2YiNS6A
※6月4日(木)17時入力締切

例会準備の関係上、6月に開催される2回分の出欠をまとめてとります。入力後に変更が生じた場合は、運営まで個別にご相談ください。

報告者:阿部大地(佐賀県立博物館学芸員)
報告タイトル:「ウィーン万国博覧会に向けた出品準備と『産物大略』の影響」

【要旨】
 これまでのウィーン万国博覧会に向けた展示品収集に関する研究は、明治政府、各使府県双方の視点から積み上げられている。いずれの研究にも共通して判明しているのが、明治政府が各地に「産物大略」というリストを送付し、収集の便宜を図っていた点である。
 しかし、これまでの研究では、地域別に送付された「産物大略」全てを実見することはなかった。全国一斉送付でありながらも、内容にばらつきのあった「産物大略」は、当然各地の収集に影響を及ぼしたことが推測されるが、その実態は未だ判然としない。
 そこで本報告では、「産物大略」を主軸に、出品準備の全国的な動態把握を試みる。そもそも「産物大略」とはどのような史料であったのか、収集にどのような作用をもたらしたのか、また、収集後の物産誌との関係はいかなるものであったのか検討する。

【参考文献】
・東京国立博物館編『東京国立博物館百年史』1973年
・橋詰文彦「万国博覧会の展示品収集と「信濃国産物大略」」『長野県歴史館研究紀要』4、1998年
・橋詰文彦「ウィーン万国博覧会の展示品収集―明治五年筑摩県飯田出張所管内における収集過程―」『信濃』50-9、1999年
・三浦泰之「ウィーン万国博覧会と開拓使・北海道」『北海道開拓記念館研究紀要』29、2001年
・阿部大地「山口県におけるウィーン万国博覧会の展示品収集―実地調査に注目して―」『洋学』24、2017年
・関根仁「ウィーン万国博覧会参加における御用掛」松尾正人編『近代日本成立期の研究―政治・外交編―』岩田書院、2018年

会員のインタビュー記事掲載情報(堅田智子氏)

 3月17日付『讀賣新聞』夕刊「史書を訪ねて」に、本会会員の堅田智子氏(流通科学大学講師)のインタビューが掲載されました。

 本記事では、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの次男ハインリッヒ・フォン・シーボルト(Heinrich von Siebold, 1852-1908)の蝦夷とアイヌに関する3部作をまとめた『小シーボルト蝦夷見聞記』について取り上げられています。また、堅田氏によりシーボルト家のアイヌへのまなざしについて、解説がなされています。


 讀賣新聞オンラインから限定公開(読者会員のみ)もなされていますので、ぜひ、ご一読ください。