洋学史学会若手部会

洋学史学会に所属する大学院生・学部生を中心とする若手部会です。

【洋学史学会若手部会12月オンライン例会】開催案内

 12月オンライン例会の日程と詳細が決まりましたので、お知らせします。
 どなたでもご参加いただけますので、ご関心のある方はこの機会に是非お越し下さい。(要事前登録:下記参照)
 
【洋学史学会12月オンライン例会】
◆12月12日開催
日時:2020年12月12日(土)14:00~15:00(例会終了後に茶話会を予定)
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし
ただし、事前登録制
※12月10日(木)17時入力締め切り
例会準備の関係上、同月開催される2回分の参加可否をまとめてとります。入力後に変更が生じた場合は、フォーム編集を行うか、運営まで個別にご相談ください。

報告者:濱口裕介(札幌大学女子短期大学部助教)
報告タイトル:「幕末維新期における北海道改号論について」(仮)

【要旨】
 1869年、松浦武四郎の案をもとに新政府は蝦夷地を北海道と改めた。これは、近世の松前蝦夷地地域区分体制の否定であり、同時に国郡制の実施によって蝦夷地が名実ともに日本領に編入された、歴史的に極めて重大なできごととされている。
 しかし、この北海道号の成立事情についてはいまだ検討の余地がある。というのも、近年の研究では道名選定に関わった官吏が武四郎ひとりではないことが明らかにされており、また徳川斉昭をはじめとして、海防への関心と結びついた改号論も幕末期から認められるからである。幕末期以来の道名選定の前史、武四郎以外の人々の動向も視野に入れた上での再評価が必要であろう。
 そこで本報告では、幕末維新期における北海道改号論をめぐる動向を取り上げ、新政府による道名選定の意義について再考したい。あわせて地理学史の成果に学びつつ、近世・近代移行期における日本地理像の変容という問題についても考えてゆきたい。

【参考文献】
榎森進『アイヌ民族の歴史』草風館 2007年
笹木義友・三浦泰之編『松浦武四郎研究序説』北海道出版企画センター 2011年
上杉和央『地図から読む江戸時代』ちくま新書 2015年

◆12月19日開催
日時:2020年12月19日(土)14:00~15:00(例会終了後に茶話会を予定)
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし
ただし、事前登録制
※12月10日(木)17時入力締め切り
例会準備の関係上、同月開催される2回分の参加可否をまとめてとります。入力後に変更が生じた場合は、フォーム編集を行うか、運営まで個別にご相談ください。

報告者:吉岡誠也(東京大学地震研究所特任研究員)
報告タイトル:「明治初年旧佐賀藩士成富清風の清国留学について」(仮)

【要旨】
 成富清風(1838-1882)は佐賀藩の下級藩士で、幕末に藩命により昌平黌に学び、帰藩後は藩主鍋島直大の側に仕えた人物である。維新後は、明治4年(1871)5月に、同藩士福島九成や薩摩藩士小牧昌業ら計6名とともに新政府から清国留学を命じられた。清国滞在中には、同7年の台湾出兵に際して事前に現地調査を行い、詳細な報告書を新政府に提出したことが知られている。
 だが、本来の目的である留学の実態については不明な点が多い。明治新政府が、海外留学政策を積極的に推進したことはよく知られているが、清国留学に関しては研究がほとんどなく、また日中交流史の分野においても、日本人の清国留学の具体像が示されるのは1870年代後半以降である。
 このような研究状況の要因は関連史料の乏しさにあるが、東京大学史料編纂所所蔵「成富清風日記」には、留学期間中の清風の行動が克明に記されている。そこで本報告では、同日記を使用して清国留学の実態について基礎的な考察を試みたい。

【参考文献】
石附実「新政府の留学政策と留学の流行」(同『近代日本の海外留学史』中公新書、1992年、初版1972年)
桑兵「近代の日本人中国留学生」(大里浩秋・孫安石編『留学生派遣から見た近代日中関係史』2009年、御茶の水書房)
拙稿「史料紹介・翻刻 東京大学史料編纂所所藏「佐賀藩土成富清風日記・雑記」について」(『佐賀県立佐賀城本丸歴史館研究紀要』15号、2020年)

【10月オンライン例会】内容報告

 洋学史学会若手部会では10月オンライン例会を開催し、2名の会員による研究報告が行われました。以下にその概要を報告致します。

《10月オンライン例会①》
日時:2020年10月3日(土)14:00~15:00
報告者:菊地智博(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)
報告タイトル:「韮山代官江川英龍の海防建議書とその変遷」

 本報告は、江川文庫所蔵江川家文書に残る海防意見書草案の原本と、明治期に江川英武がまとめた「建議書抜萃」とを比較させることで、江川英龍の天保8(1837)年から天保10(1839)年の海防建議書がどのように変遷していったのかを明らかにしたものである。特に付箋のはりつけや書き替えなどから、農兵論を初めて建議した天保10年の建議書に至る修正・加筆過程とその時期を、蛮社の獄に至る政治過程のなかで明らかとした。
 田原藩家老渡辺崋山が「諸国建地草図」の中で、房総相州への大名移住を建言しており、江川はこれを受けて天保10年4月の建議書に取り入れたほか、伊豆への大名移住を献策したことが天保10年5月の建白書にみられることが報告された。
 質疑では、採用する側の動向や儒学者などの動向、江川の提出したこの後の海防書の検討も含めた様々な観点から検討することによって、江川の海防建議書の意義が見いだせるのではないかという指摘があった。


《10月オンライン例会②》
日時:2020年10月24日(土)14:00~15:00
報告者:サイジ・モンテイロ ダニエル(パリ大学博士後期課程・東京大学史料編纂所外国人研究員)
報告タイトル:「西川如見の書物からみる近世長崎の学問と混合宇宙観」

 明代の儒学者馮応京(ふうおうけい)は『月令広義』(1602)で、マテオ・リッチ(利瑪竇)が作製した初めての世界地図『山海輿地全図』(1584)にみられるようなヨーロッパ由来の宇宙観を紹介した。馮の著書を引用し、『両儀集説』(1714)を著したのが、長崎の学者西川如見であった。
 報告ではまず、如見が『両儀集説』で示した宇宙観は、中国明代の儒学、漢籍伝来のイエズス会系宇宙論の理解に基づく「ハイブリッド・コスモロジー(混合宇宙観)」と呼べるものである、との指摘がされた。その上で、この宇宙観が生まれた背景について、如見の思想に近世中期の長崎の学問における華夷思想が反映していること、そして当時、如見が世界万国の中における日本の位置を考え直すために、天文・地理学的技術の振興を唱えたことが関連している、との報告がなされた。
 質疑では、ポルトガルやスペインから渡来した南蛮系宇宙論と、如見の「混合宇宙観」はどのように違うのかというものがあった。そのほか、長崎の学問とは具体的にどのようなことを指示しているのか、息子正休にその影響が見られるか、という質問が出た。
 洋学は漢訳洋書を読むことから始まった(岸田知子『漢学と洋学 伝統と知識のはざまで』)とするならば、本報告はまさにこの一端が垣間見えるような報告だったといえよう。

                                (文・塚越俊志)

【洋学史学会若手部会10月オンライン例会】開催案内

 洋学史学会若手部会では、新型コロナウイルス感染拡大防止を目的に、当面の間、オンラインにて例会を開催することといたします。
 10月は下記日程にて、オンライン例会を開催いたしますので、ふるってご参集ください。

【洋学史学会若手部会10月オンライン例会】
◆10月3日開催
日時:10月3日(土)14:00~15:00(例会終了後に茶話会を予定)
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし ※会員・非会員にかかわらずご参加いただけます
ただし、事前登録制
※10月1日(木)17時入力締め切り
例会準備の関係上、10月に開催される2回分の参加可否をまとめてとります。入力後に変更が生じた場合は、期日までにフォームを編集するか、部会運営まで個別にご相談ください。

報告者:菊地智博(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)
報告タイトル:「韮山代官江川英龍の海防建議書とその変遷」

【要旨】
 幕末期に幕府海防に参与した代官江川英龍の海防論を示す海防建議書群を原史料から再検討し、建議書の変遷過程を考察する。
 江川英龍は代官の立場を超え、海岸巡視や西洋砲術伝授、台場建設に携わったことが知られる。彼が天保八年以降に上申した数十点もの海防建議書は彼の抜擢の契機になったといわれ、その内容の先進性や渡辺崋山・幡崎鼎など洋学者からの影響が明らかにされている。
 しかし、先行する検討はいずれも明治期に次々代・英武が編纂したと考えられる史料『建議書抜萃』に拠っており、江川文庫に残る下書を含む複数の建議書原本は顧みられていない。
 本報告では、『抜萃』と原本との対応関係を明らかにした上で、建議書の修正・加筆から形成過程を復元し、江川の海防論がいかに変遷し、また現実の政策へ反映されたのかを考えたい。

【参考文献】
仲田正之「江川英龍の事績と天保改革」(同『韮山代官江川氏の研究』吉川弘文館、1998年)
戸羽山瀚編『江川坦庵全集』正編・別編 巌南堂書店、1972年
佐藤昌介『洋学史研究序説』岩波書店、1964年
藤田覚「海防論と東アジア」(青木美智男・河内八郎編『講座日本近世史七 開国』有斐閣、1985年)

◆10月24日開催
日時:10月24日(土)14:00~15:00(例会終了後に茶話会を予定)
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし ※会員・非会員にかかわらずご参加いただけます
ただし、事前登録制
※10月1日(木)17時入力締め切り
例会準備の関係上、10月に開催される2回分の参加可否をまとめてとります。入力後に変更が生じた場合は、期日までにフォームを編集するか、部会運営まで個別にご相談ください。

報告者:サイジ・モンテイロ ダニエル(パリ大学博士後期課程・東京大学史料編纂所外国人研究員)
報告タイトル:「西川如見の書物からみる近世長崎の学問と混合宇宙観」

【要旨】
 長崎学者西川如見(1648−1724)は、地理・天文学の知識で評価され、1719年に徳川吉宗の顧問を務めたと知られている。彼の「天学」思想は、科学・思想史のなかで朱子学かつ西洋学問両方の影響を受けた上で合理的な傾向を表すとも論じられてきた。しかし、如見が述べる「天学」は「洋学」と「儒学」の中間的な学問のみならず、むしろ多種な要素から構成された「混合宇宙観」だと把握できる。要素は五つに分類される:①近世日本の朱子学、②中国明代の儒学、③漢籍伝来のイエズス会系宇宙論、④長崎の南蛮系宇宙論、⑤オランダ商人の天文学的技術。
 本報告は、西川如見の混合宇宙観を網羅的に描写する『両儀集説』に注目し、その書物で引用される馮応京(?−1606)著『月令広義』からみられる②と③の複合的な関係を考察するものである。すなわち、マテオ・リッチ(1552−1610)経由で伝来したヨーロッパ由来の宇宙論を馮応京は『月令広義』で紹介し、西川如見は同書に基づいて西洋伝来の宇宙論を中国明代の知識として扱うことの意義を本報告は検討する。

【参考文献】
国立公文書館所蔵、西川如見著『両儀集説』(内閣文庫194−0055)、写本。
海野一隆 『日本人の大地像ー西洋地球説の受容をめぐって』、大修館書店、2006年。
海野一隆 「明・清におけるマテオ・リッチ系世界圖―主として新史料の検討」山田慶兒編『新発現中国科学史資料の研究―論考篇』、京都大学人文科学研究所、1985年。
孫承昇 『観念的交織―明清之際西方自然哲学在中国的伝播』、広東人民出版社、 2018年。

 

【8月オンライン例会】内容報告

 洋学史学会若手部会では8月オンライン例会を開催し、2名の会員による研究報告が行われました。以下にその概要を報告致します。

《8月オンライン例会①》
日時:8月1日(土)14:00~15:00
報告者:山本瑞穂(東京大学大学院人文社会系研究科修士課程)
報告タイトル:「文化年間の幕府周辺における日露交渉史の把握の深化―大槻玄沢『北辺探事補遺』を中心に―」

 本報告では、ロシアの日本接近においてオランダ商館が幕府に果たした役割の解明を目的として、主に元文の黒船を対象に検討がなされた。大槻玄沢は仙台藩医の立場から仙台藩の記録や宝物の調査等を利用して情報を収集し『北辺探事 補遺』をまとめ、若年寄堀田正敦にも呈上したとし、近藤重蔵が長崎の通詞から得たメモの提供を受け元文の黒船がオランダ船であるという自説の傍証ともしたと指摘する。一方、柴野栗山ら儒者たちも翻訳蘭書やオランダ商館経由の海外情報から当該期の日露交渉を把握、対応策を老中に書面で提出していたことを指摘、元文年間のオランダ商館の情報提供と蘭書輸入が文化年間の日露交渉把握の深化を可能とし、商館と幕府をつないだのは幕府に近い学者であったと結論づけた。
 報告後は研究史に関する助言、幕府の儒者が日露交渉の履歴を追っていた理由、日露交渉史という言葉の適否、新井白石・荻生徂徠らの海外情報収集との関連性、修論全体の中での本報告の位置づけ、先行研究の不足をどう更新するか等活発な質疑がなされた。

《8月オンライン例会②》
日時:8月8日(土)14:00~15:00
報告者:阿曽歩(国際基督教大学博士研究員)
報告タイトル:「大槻平泉旧蔵キリスト教関連資料に関する考察」

 本報告は仙台藩藩校の学頭を務めた大槻平泉が所蔵していたキリスト教関連資料(「蘭文旧約聖書ダニエル書」)について、その書誌や史料上の特徴を分析し、史料的意義を考察するものであった。平泉は大槻玄幹とともに長崎で志筑忠雄に蘭学を学んでいる。「蘭文旧約聖書ダニエル書」は聖書そのものではなくボイス学芸事典からの転写であること、欄外に書かれた朱書の文章が蘭文の翻訳ではないこと等が判明した。近世後期におけるキリスト教知識の受容については自然科学系書物や地理書、聖書研究等をその源泉としているが、平泉の神に対する興味関心やオランダ語能力の程度、欄外の朱書の出典等についての検討が今後の課題として挙げられた。
 報告後は史料の年代、本報告の平泉研究における位置づけ、東北という土地柄とキリスト教受容の関係性、平泉が宗教に興味を抱いたきっかけ、ロシアとの関係、仙台藩の蘭学との関係性、志筑忠雄に学んだ根拠等、様々な視点からの質問があり意見交換がなされた。

                               (文・西留いずみ)

【洋学史学会若手部会8月オンライン例会】開催案内

 洋学史学会若手部会では、新型コロナウイルス感染拡大防止を目的に、当面の間、オンラインにて例会を開催することといたしました。
 緊急事態宣言は解除されましたが、今なお感染拡大防止の観点から、これまで同様の一堂に会する例会開催は現在も難しい現状にあります。そうした中でも、研究成果を報告する場を維持したい、若手研究者同士の交流を深め、研究活動のモチベーションを高めたいとの思いから、オンラインによる例会の開催を決定いたしました。
 8月は下記日程にて、オンライン例会を開催いたしますので、ふるってご参集ください。

【洋学史学会8月オンライン例会】
◆8月1日開催
日時:8月1日(土)14:00~15:00(例会終了後に茶話会を予定)
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし
ただし、事前登録制
※7月29日(木)17時入力締め切り
例会準備の関係上、8月に開催される2回分の参加可否をまとめてとります。入力後に変更が生じた場合は、運営まで個別にご相談ください。

報告者:山本瑞穂(東京大学大学院人文社会系研究科修士課程)
報告タイトル:「文化年間の幕府周辺における日露交渉史の把握の深化―大槻玄沢『北辺探事補遺』を中心に―」

【要旨】
 本報告の目的は、文化年間のロシアとの接触を契機に、幕府に近い学者による、海外情報に基づいた日露交渉史の整理を題材に、幕府に対してオランダ商館が果たした情報提供者としての役割を検討することである。
 仙台藩医・蘭学者の大槻玄沢による文化4年(1807)の著作『北辺探事 補遺』は、蝦夷地に出張する若年寄堀田正敦に提出された北方研究書である。同書において玄沢は、翻訳蘭書・オランダ通詞の書付・仙台藩の記録等の閲覧を通して、元文4年(1739)仙台沖出没の異国船が、最初の来日ロシア船であるとした。一方で、既に学問所儒者も、文化元年(1804)のレザノフ来航に際して老中に提出した上申書類において、ロシアの日本近海進出は元文年間から始まるとみなしており、その情報源はおそらくオランダ風説書である。
 本報告では、上記の学者の情報源の検討を通じ、オランダ商館を日露関係の中に位置づけることを試みる。

【参考文献】
・郡山良光『幕末日露関係史研究』、国書刊行会、1980年。
・藤田覚『近世後期政治史と対外関係』、東京大学出版会、2005年。
・早稲田大学図書館所蔵、大槻茂質撰『北邉探事』(洋学文庫08 A0050)。
・添川栗編著『有所不為斎雑録』第3集第24、中野同子代謄写、1942年。

 

◆8月8日開催
日時:8月8日(土)14:00~15:00(例会終了後に茶話会を予定)
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし
ただし、事前登録制
※7月29日(木)17時入力締め切り
例会準備の関係上、8月に開催される2回分の参加可否をまとめてとります。入力後に変更が生じた場合は、運営まで個別にご相談ください。

報告者:阿曽歩(国際基督教大学博士研究員)
報告タイトル:「大槻平泉旧蔵キリスト教関連資料に関する考察」

【要旨】
 
2013年に大槻家の御子孫により一関市博物館に寄贈された「大槻家寄贈資料」の約5,000点の中に、仙台藩藩校養賢堂の学頭であった大槻平泉(1773-1850)が旧蔵していた「蘭文旧約聖書ダニエル書」という資料がある。ダニエル書とは、資料の名前通り、旧約聖書の内の一篇である。本資料には、ダニエル書に関するオランダ語の文章とその内容を示す朱字が書かれている。さらに、本資料の裏表紙には、大槻玄沢の孫で、磐渓の息子である文彦により、史料に書き込まれた朱字が平泉の筆跡であろうことが記されている。
 
本資料を分析した結果、本資料は聖書の内容そのものではなく、当時蘭学者の間に広く出回っていたオランダ語の百科事典の一項目を写したものであったことがわかった。
 
近世後期ともなると、知識人の間でキリスト教に関する知識が広まっていたことは度々言われることである。しかし、どういった書物から知識を得ていたのかについては不明瞭な点が少なくない。本報告では、近世後期におけるキリスト教知識の受容という側面から、本資料の持つ意味について考察を試みたい。

【参考文献】
小岩弘明「大槻文彦自筆履歴書―大槻家旧蔵資料から―」『一関市博物館研究報告』17号、一関市博物館、2014年

【7月オンライン例会】内容報告

 洋学史学会若手部会は7月オンライン例会を開催し、2名の会員による研究報告が行われました。以下にその概要を報告致します。

《7月オンライン例会①》
日時:2020年7月4日(土)14:00~15:00
報告者:堅田智子(流通科学大学商学部講師)
報告タイトル:「ウィーン万国博覧会におけるシーボルト兄弟の役割」

 本報告では、『澳國博覧會参同記要』、展示品を収めた写真アルバム、田中芳男が作成した『外国捃拾帖』、アレクサンダーの著作、ブランデンシュタイン城シーボルトアーカイヴ所蔵資料、オーストリア国立工芸美術館により刊行された雑誌などの日独澳に点在する資料を多角的かつ複合的に分析し、ウィーン万国博覧会におけるシーボルト兄弟の役割を考察するものである。従来、シーボルト兄弟と日本の関係は日独関係史のなかで論じられてきたが、日独澳関係史へと広げようとする挑戦的な視座を示すものでもある。
 ウィーン万博に関わったアレクサンダー・フォン・シーボルトとハインリッヒ・フォン・シーボルトの役割と連携、彼らによって紹介された日本文化、外交の場という万博の役割を明らかにした。 
 報告終了後、ブランデンシュタイン城のシーボルトアーカイヴの資料について、『外国捃拾帖』について、オーストリアでの「日本古美術展」についてなどの質問がなされた。また、報告者が研究代表者になっている科学研究費若手研究「世紀転換期における日本イメージの対独発信:広報文化外交と戦時国際法の利用」に対し、期待を寄せるコメントがなされた。

                              (文・臺由子)
                             

《7月オンライン例会②》
日時:2020年7月18日(土)14:00~15:00
報告者:橋本真吾(東京工業大学非常勤講師)
報告タイトル:「文政後期の海外情報活動と地理書翻訳-高橋景保の北米大陸への関心をめぐって」

 本報告は、文政後期に翻訳された地理書がより詳しく、新しい物へと変化した背景を御書物方奉行兼天文方筆頭の高橋景保の「北米大陸への関心」をもとに解明することを目的としたものであった。
 ゴロヴニン事件を契機にロシア語研究・北方事情への関心を深めていた景保はゴロヴニン事件の背景に「露米会社」の存在があった事を知る。景保は参府中にド・ストゥルレルやシーボルトとの会合で「北米」の状況を訊ね、シーボルトから贈呈されたジェームズ・タキー『海洋通商地理学』を蕃書和解御用御用訳員であった青地林宗へ北米大陸北西岸部に関する箇所を翻訳させるなど強い関心を持っていたことを指摘した。また、文政後期以降の『輿地誌略』『輿地志』の翻訳には景保の対外関心が反映されており、天文方蕃書和解御用の地理書翻訳において景保のリーダーシップが必要とされていた可能性を示した。
 質疑応答では、シーボルト研究の観点からの指摘や「北米」「西北亜墨利加」が具体的に指す場所、翻訳されることとなった地理書の輸入時期についての質問がなされた。
                            (文・岸本萌里)

【紹介】会員の翻訳・論文に関する新聞掲載情報(堅田智子氏、藤本健太郎氏)および長崎市発行の歴史研究誌情報

 今回は、洋学史学会若手部会会員で長崎市文化観光部長崎学研究所学芸員藤本健太郎氏に、長崎市発行の歴史研究誌情報について、ご紹介いただきました。

 『長崎新聞』2020年6月21日付朝刊に、長崎県内の博物館や研究機関が発刊した歴史研究誌4冊に関する紹介記事が掲載されました。この中で当会会員2名(堅田智子氏:『鳴滝紀要』、藤本健太郎:『長崎学』)の翻訳および論文が掲載されていますのでご紹介します。

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『長崎新聞』(2020年6月21日朝刊)

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『長崎新聞』(2020年6月21日朝刊)


 堅田智子氏の翻訳「男爵アレクサンダー・フォン・シーボルト『公爵伊藤博文に関する個人的回想』」が掲載されている長崎市シーボルト記念館の機関誌『鳴滝紀要』は、これまでシーボルト及びその門人たちに関する研究、洋学に関する研究成果を数多く掲載してきた雑誌です(既刊30号)。

 過去の掲載論文等の一覧が以下のとおり公開されています。
https://www.city.nagasaki.lg.jp/kanko/820000/828000/p009233_d/fil/kiyo2020.pdf

 同じく長崎市が運営する長崎市長崎学研究所でも機関誌として『長崎学』を発行しています(既刊4号)。最新刊には、藤本健太郎の論文「長崎連合町会の開設と展開」が掲載されています。
 『長崎学』では古代から近代まで長崎をキーワードの一つとした歴史及び文化に関する研究成果を幅広く対象として、長崎市に所属する職員のほか、外部の学術研究者からも論文等を寄稿いただいています。
 『長崎学』では第2号までの論文等を一部データ公開しています。
https://www.city.nagasaki.lg.jp/syokai/720000/724000/p028544.html 

 長崎市役所では現在、『鳴滝紀要』と『長崎学』の2つを歴史研究誌として刊行しています。いずれも洋学関連の研究を多く収録しておりますので、ぜひともご覧ください。

              (長崎市文化観光部長崎学研究所学芸員 藤本健太郎)

 

 ご存じのとおり、長崎は「四つの口」の一つとして、江戸時代でも海外に開かれた場所でした。単に地方史にとどまらず、洋学という広い視点から長崎やその歴史を「長崎学」としてとらえ直す試みは、古くから開明的な長崎らしい取り組みではないでしょうか。

※長崎学とは…
 長崎学とは、長崎港を中心に発展してきた長崎市域を出発点とする、長崎の歴史や文化に関する学問・研究と定義しています。
 大正から昭和にかけて活躍し、『長崎市史風俗編』、『長崎洋学史』などの著作で知られる古賀十二郎先生をはじめとして、現在に至るまで大学、博物館、郷土史研究団体を中心に、数多くの長崎学に関する研究が発表・蓄積されてきました。

                   *長崎市HP文化観光部長崎学研究所より引用
          https://www.city.nagasaki.lg.jp/soshiki/129/190300250/index.html

                     (流通科学大学商学部講師 堅田智子)