洋学史学会若手部会

洋学史学会に所属する大学院生・学部生を中心とする若手部会です。

【2021年2月オンライン例会】内容報告

洋学史学会若手部会では2月オンライン例会を開催し、2名の会員による研究報告が行われました。以下にその概要を報告致します。

《2月オンライン例会①》
日時:2021年2月13日(土)14:00~15:00
報告者:岸本萌里(東洋大学大学院文学研究科博士前期課程)
報告タイトル:「嘉永期の京都警衛における朝廷と幕府の動向について」

 本報告は、嘉永期における公家と海防の関連および朝廷の意思決定の特質という視点で、武家伝奏三条実万の意見書案を中心に朝廷と幕府の京都警衛方針を比較し、両者の海防認識の差異を明らかにしたものである。具体的には、ペリー再来航以後の京都近海の異国船対応策として、幕府は日本海沿岸からの「陸路」での上陸を主に想定していたが、朝廷はより現実的に日本海側と大坂湾の「海路」の双方からの侵入を考慮していた。その背景には、幕府の管轄区分による問題意識の共有の限界や、公家による海外情報に基づいた考察があった。その後プチャーチン大坂湾来航を受け、幕府は「陸路」「海路」双方の警衛を整えていく。
 質疑では、朝廷は京都警衛を主導しようとしたのか、実万と老中との会談の形態が直前に変更されたことについてどう考えるか、会談時の老中の態度は公儀全体を代表するものか、実万はどのような海外情報を求め収集していたか、といった質問が出た。

《2月オンライン例会②》
日時:2021年2月27日(土)14:00~15:00
報告者:藤本大士(名古屋経済大学非常勤講師)
報告タイトル:「19世紀後半の日本におけるアメリカ人医療宣教師と医学教育」

 従来、19世紀後半の日本の医学に関してはドイツ人医師の活動が注目され、アメリカ人医師の存在は見落とされてきた。本報告はこれを踏まえ、アメリカのプロテスタント・ミッションの医療宣教師による医学教育を中心とした日本での活動について検討したものである。
 報告では、アメリカ人医療宣教師により、1859〜60年代には遊学中の諸藩の医師への指導が、70年代には医術開業試験及第を目指す学生への指導が行われたが、80年代には日本の公立医学校の整備に伴い、彼らが医学教育を行わなくなるという変容が起こったことが示された。一方で、女性医療宣教師が80、90年代にミッションスクールの女子学生を教育していたことが報告された。
 質疑では、アメリカ人宣教師全体に占める医療宣教師の割合、アメリカ医学の特徴、明治初期における宣教活動の難しさなどが問われたほか、当時拡大しつつあったアメリカによる日本への宣教師派遣をどう評価するかといった質問が出た。

                             (文・山本瑞穂)

【洋学史学会若手部会2月オンライン例会】開催案内

洋学史学会若手部会では引き続き、オンラインでの例会を開催致します。
2月例会は下記日程にて、オンライン例会を開催致します。どなたでもご参加頂けますので、ご関心のある方はふるってご参加ください。

【洋学史学会若手部会2月オンライン例会】
◆2月13日開催
日時:2021年2月13日(土)14:00~15:00(例会終了後に茶話会を予定)
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし ※会員・非会員にかかわらずご参加いただけます

ただし、事前登録制
※2月11日(木)17時入力締切
例会準備の関係上、2月に開催される2回分の参加可否をまとめてとります。入力後に変更が生じた場合は、期日までにフォームを編集するか、部会運営まで個別にご相談ください。

報告者:岸本萌里(東洋大学大学院文学研究科博士前期課程)
報告タイトル:「三条実万の異国船対応と京都警衛問題―嘉永6年から7年の朝幕交渉を中心に―」(仮)

【要旨】
 三条実万(1802-1859)は幕末期の公家で、天保4年(1831)から弘化4年(1847)には議奏を、嘉永元年(1848)から安政4年(1857)までは武家伝奏を務めた人物である。実万が朝廷の政務の中心を担った天保~安政期は異国船の渡来が相次いだ時期でもあり、朝廷は対外問題に対処しなければならなかった。故に実万も朝廷制度改革や対外問題への対処に当たっていたことが知られている。
 しかし、実万の海外情報に対する理解については、安政期に京都で入説を行なっていた福井藩士橋本左内の評価などを元に「令格旧套不脱却人」であると考えられてきた。そのため、対外問題への対処を担った実万が得た情報や、実万自身が持つ意見についてはほとんど注目されることがなかった。特に後の問題となる京都警衛問題について、近年は安政期を中心に大坂湾の防備や台場などの実態が明らかにされつつあるものの、朝廷の意向については考慮されず、また嘉永期の公家の動向にも言及されてこなかった
 本報告では、実万が議奏・武家伝奏を務めた際の関連史料が残る国立国会図書館憲政資料室所蔵「三条家文書」を使用して、ペリー来航後の実万の動向と京都警衛に関する実万の意見についての考察を試みたい。

【参考文献】
家近良樹『幕末の朝廷―若き孝明帝と鷹司関白』(中央公論新社、2007年)
鈴木栄樹「「京都御備」としての安政期の湖北通船路開鑿事業 ―彦根藩と小浜藩との対立を軸とした通説の根本的再検討を通じて―」(『人文学報』104号、2013年)
後藤敦他編『幕末の大阪湾と台場―海防に沸き立つ列島社会―』(戎光祥出版、2018年)
後藤敦史「幕末期における幕府の大坂湾防備対策と堺台場―川村修就と勝海舟に注目して―」(『ヒストリア』280号、2020年)

 

◆2月27日開催
日時:2021年2月27日(土)14:00~15:00(例会終了後に茶話会を予定)
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし ※会員・非会員にかかわらずご参加いただけます

ただし、事前登録制
※2月11日(木)17時入力締切
例会準備の関係上、2月に開催される2回分の参加可否をまとめてとります。入力後に変更が生じた場合は、期日までにフォームを編集するか、部会運営まで個別にご相談ください。

報告者:藤本大士(名古屋経済大学非常勤講師)
報告タイトル:「19世紀後半の日本におけるアメリカ人医療宣教師と医学教育」

【要旨】
 明治初年より、日本ではドイツの医療制度や医学教育をもとに医学の近代化が進められてきた。しかし、明治期に来日した医師の出身国をみてみると、ドイツよりアメリカの出身者の方が多かったことがわかる。彼らアメリカ人医師の多くは、医療宣教師(医師であり、キリスト教の宣教師であった)と呼ばれる人々であった。先行研究では、明治初年から1945年までドイツの医学が日本で支配的であったことがしばしば議論され、そのため、日本人医師・医学生のドイツ留学やドイツ人による日本での医学教育などが詳しく研究されてきた。それに対し、この時代にアメリカ人医師たちがどういった活動をおこなったかについては十分に明らかになっていない。本報告では、19世紀後半のアメリカ人医療宣教師の活動を、とくに医学教育との関わりに注目して検討したい。

【参考文献】
田中智子『近代日本高等教育体制の黎明——交錯する地域と国とキリスト教界』思文閣出版、2012年。
藤本大士「幕末・明治初年における3人のアメリカ人医療宣教師について」『洋学』23号、2016年、89–114頁。
藤本大士「1880–1890年代の日本におけるアメリカ女性医療宣教師の活動」『日本医史学雑誌』64巻3号、2018年、223–239頁。
藤本大士「明治初期大阪におけるアメリカ人医療宣教師と医学教育」『科学史研究』292号、2020年、318–333頁。
Hiro Fujimoto, "Women, Missionaries, and Medical Professions: The History of Overseas Female Students in Meiji Japan," Japan Forum, 32(2), 2020, pp. 185–208.

 

【2020年12月オンライン例会】内容報告

 洋学史学会若手部会では12月オンライン例会を開催し、2名の会員による研究報告が行われました。以下にその概要を報告致します。

《12月オンライン例会①》
日時:2020年12月12日(土)14:00~15:00
報告者:濱口裕介(札幌大学女子短期大学部助教)
報告タイトル:幕末維新期における北海道改号論について

 本報告は、松浦武四郎個人の業績と見なされがちな北海道改号について、日本全体の地理認識の転換に関わる問題として、武四郎以外の改号論を含め、考察を行ったものである。
 報告者はまず、北海道改号論は近世後期の日本に存在した複数の地理像を統合し、一本の境界線を定めようとする幕末以降の中央集権体制への志向の中に位置づけられることを指摘した。次に、徳川斉昭、竹川竹斎、井上石見等による武四郎以前の北海道改号論の比較分析から、各論者により「北海道」を指示する範囲に大きな差異があること、そして、現実のアイヌの存在を意識した武四郎の撰号が特筆すべきことを指摘した。最後に、北海道への改号は、重層的な地理像を統合する意味合いがあった一方、明治以後も北海道を「蝦夷」、「北洲」等と表記する場合も少なくなく、地理像の転換は漸進的なものであったことが報告された。
 質疑では北海道改号を巡る開拓使側の記録の有無についての質問、また、武四郎以外による北海道・蝦夷地認識についての議論がなされた。

《12月オンライン例会②》
日時:2020年12月19日(土)14:00~15:00
報告者:吉岡誠也(東京大学地震研究所特任研究員)
報告タイトル:「成富清風日記」にみる明治初年清国留学の基礎的考察

 明治期の海外留学は欧米が中心であり、留学史研究においても、当時の清国留学については事実の指摘程度に留まる。それに対して本報告は、東京大学史料編纂所に所蔵されている、成富清風の日記を用い、1871(明治4)年頃の清国留学の一端を明らかにしようとしたものである。
 成富は、1838(天保9)年生まれの佐賀藩士で、藩校弘道館の分校である大野原学校へ入学した後、1864(元治元)年に昌平黌への遊学で漢学を修めた。1870(明治3)年頃から英語を学び始めた成富は、1871(明治4)年に明治新政府より清国留学を命じられ、上海におよそ2年滞在した。彼の日記からは、在清の欧米人より英語を学び、清国人から清国の公用語である官話を習うなど、留学中の学習の様子をうかがい知ることができる。また、同時期に香港に留学していた旧松江藩士岡田好成らとの交流があったことが確認できる。
 質疑では、留学中の1873(明治6)年に成富の所管が文部省から外務省へ移管されたことに関する質問や、欧米への留学が盛んになっていたにもかかわらず、欧米ではなくあえて清へ留学することの意義についての疑問が出された。また、これまでの留学史研究の手法をふまえ、同時期に留学していた他の留学生から成富の果たした役割を位置付けることができるのではないか、といった展望などが議論された。
 
                                (文・西脇彩央)

【洋学史学会若手部会12月オンライン例会】開催案内

 12月オンライン例会の日程と詳細が決まりましたので、お知らせします。
 どなたでもご参加いただけますので、ご関心のある方はこの機会に是非お越し下さい。(要事前登録:下記参照)
 
【洋学史学会12月オンライン例会】
◆12月12日開催
日時:2020年12月12日(土)14:00~15:00(例会終了後に茶話会を予定)
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし
ただし、事前登録制
※12月10日(木)17時入力締め切り
例会準備の関係上、同月開催される2回分の参加可否をまとめてとります。入力後に変更が生じた場合は、フォーム編集を行うか、運営まで個別にご相談ください。

報告者:濱口裕介(札幌大学女子短期大学部助教)
報告タイトル:「幕末維新期における北海道改号論について」(仮)

【要旨】
 1869年、松浦武四郎の案をもとに新政府は蝦夷地を北海道と改めた。これは、近世の松前蝦夷地地域区分体制の否定であり、同時に国郡制の実施によって蝦夷地が名実ともに日本領に編入された、歴史的に極めて重大なできごととされている。
 しかし、この北海道号の成立事情についてはいまだ検討の余地がある。というのも、近年の研究では道名選定に関わった官吏が武四郎ひとりではないことが明らかにされており、また徳川斉昭をはじめとして、海防への関心と結びついた改号論も幕末期から認められるからである。幕末期以来の道名選定の前史、武四郎以外の人々の動向も視野に入れた上での再評価が必要であろう。
 そこで本報告では、幕末維新期における北海道改号論をめぐる動向を取り上げ、新政府による道名選定の意義について再考したい。あわせて地理学史の成果に学びつつ、近世・近代移行期における日本地理像の変容という問題についても考えてゆきたい。

【参考文献】
榎森進『アイヌ民族の歴史』草風館 2007年
笹木義友・三浦泰之編『松浦武四郎研究序説』北海道出版企画センター 2011年
上杉和央『地図から読む江戸時代』ちくま新書 2015年

◆12月19日開催
日時:2020年12月19日(土)14:00~15:00(例会終了後に茶話会を予定)
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし
ただし、事前登録制
※12月10日(木)17時入力締め切り
例会準備の関係上、同月開催される2回分の参加可否をまとめてとります。入力後に変更が生じた場合は、フォーム編集を行うか、運営まで個別にご相談ください。

報告者:吉岡誠也(東京大学地震研究所特任研究員)
報告タイトル:「明治初年旧佐賀藩士成富清風の清国留学について」(仮)

【要旨】
 成富清風(1838-1882)は佐賀藩の下級藩士で、幕末に藩命により昌平黌に学び、帰藩後は藩主鍋島直大の側に仕えた人物である。維新後は、明治4年(1871)5月に、同藩士福島九成や薩摩藩士小牧昌業ら計6名とともに新政府から清国留学を命じられた。清国滞在中には、同7年の台湾出兵に際して事前に現地調査を行い、詳細な報告書を新政府に提出したことが知られている。
 だが、本来の目的である留学の実態については不明な点が多い。明治新政府が、海外留学政策を積極的に推進したことはよく知られているが、清国留学に関しては研究がほとんどなく、また日中交流史の分野においても、日本人の清国留学の具体像が示されるのは1870年代後半以降である。
 このような研究状況の要因は関連史料の乏しさにあるが、東京大学史料編纂所所蔵「成富清風日記」には、留学期間中の清風の行動が克明に記されている。そこで本報告では、同日記を使用して清国留学の実態について基礎的な考察を試みたい。

【参考文献】
石附実「新政府の留学政策と留学の流行」(同『近代日本の海外留学史』中公新書、1992年、初版1972年)
桑兵「近代の日本人中国留学生」(大里浩秋・孫安石編『留学生派遣から見た近代日中関係史』2009年、御茶の水書房)
拙稿「史料紹介・翻刻 東京大学史料編纂所所藏「佐賀藩土成富清風日記・雑記」について」(『佐賀県立佐賀城本丸歴史館研究紀要』15号、2020年)

【10月オンライン例会】内容報告

 洋学史学会若手部会では10月オンライン例会を開催し、2名の会員による研究報告が行われました。以下にその概要を報告致します。

《10月オンライン例会①》
日時:2020年10月3日(土)14:00~15:00
報告者:菊地智博(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)
報告タイトル:「韮山代官江川英龍の海防建議書とその変遷」

 本報告は、江川文庫所蔵江川家文書に残る海防意見書草案の原本と、明治期に江川英武がまとめた「建議書抜萃」とを比較させることで、江川英龍の天保8(1837)年から天保10(1839)年の海防建議書がどのように変遷していったのかを明らかにしたものである。特に付箋のはりつけや書き替えなどから、農兵論を初めて建議した天保10年の建議書に至る修正・加筆過程とその時期を、蛮社の獄に至る政治過程のなかで明らかとした。
 田原藩家老渡辺崋山が「諸国建地草図」の中で、房総相州への大名移住を建言しており、江川はこれを受けて天保10年4月の建議書に取り入れたほか、伊豆への大名移住を献策したことが天保10年5月の建白書にみられることが報告された。
 質疑では、採用する側の動向や儒学者などの動向、江川の提出したこの後の海防書の検討も含めた様々な観点から検討することによって、江川の海防建議書の意義が見いだせるのではないかという指摘があった。


《10月オンライン例会②》
日時:2020年10月24日(土)14:00~15:00
報告者:サイジ・モンテイロ ダニエル(パリ大学博士後期課程・東京大学史料編纂所外国人研究員)
報告タイトル:「西川如見の書物からみる近世長崎の学問と混合宇宙観」

 明代の儒学者馮応京(ふうおうけい)は『月令広義』(1602)で、マテオ・リッチ(利瑪竇)が作製した初めての世界地図『山海輿地全図』(1584)にみられるようなヨーロッパ由来の宇宙観を紹介した。馮の著書を引用し、『両儀集説』(1714)を著したのが、長崎の学者西川如見であった。
 報告ではまず、如見が『両儀集説』で示した宇宙観は、中国明代の儒学、漢籍伝来のイエズス会系宇宙論の理解に基づく「ハイブリッド・コスモロジー(混合宇宙観)」と呼べるものである、との指摘がされた。その上で、この宇宙観が生まれた背景について、如見の思想に近世中期の長崎の学問における華夷思想が反映していること、そして当時、如見が世界万国の中における日本の位置を考え直すために、天文・地理学的技術の振興を唱えたことが関連している、との報告がなされた。
 質疑では、ポルトガルやスペインから渡来した南蛮系宇宙論と、如見の「混合宇宙観」はどのように違うのかというものがあった。そのほか、長崎の学問とは具体的にどのようなことを指示しているのか、息子正休にその影響が見られるか、という質問が出た。
 洋学は漢訳洋書を読むことから始まった(岸田知子『漢学と洋学 伝統と知識のはざまで』)とするならば、本報告はまさにこの一端が垣間見えるような報告だったといえよう。

                                (文・塚越俊志)

【洋学史学会若手部会10月オンライン例会】開催案内

 洋学史学会若手部会では、新型コロナウイルス感染拡大防止を目的に、当面の間、オンラインにて例会を開催することといたします。
 10月は下記日程にて、オンライン例会を開催いたしますので、ふるってご参集ください。

【洋学史学会若手部会10月オンライン例会】
◆10月3日開催
日時:10月3日(土)14:00~15:00(例会終了後に茶話会を予定)
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし ※会員・非会員にかかわらずご参加いただけます
ただし、事前登録制
※10月1日(木)17時入力締め切り
例会準備の関係上、10月に開催される2回分の参加可否をまとめてとります。入力後に変更が生じた場合は、期日までにフォームを編集するか、部会運営まで個別にご相談ください。

報告者:菊地智博(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)
報告タイトル:「韮山代官江川英龍の海防建議書とその変遷」

【要旨】
 幕末期に幕府海防に参与した代官江川英龍の海防論を示す海防建議書群を原史料から再検討し、建議書の変遷過程を考察する。
 江川英龍は代官の立場を超え、海岸巡視や西洋砲術伝授、台場建設に携わったことが知られる。彼が天保八年以降に上申した数十点もの海防建議書は彼の抜擢の契機になったといわれ、その内容の先進性や渡辺崋山・幡崎鼎など洋学者からの影響が明らかにされている。
 しかし、先行する検討はいずれも明治期に次々代・英武が編纂したと考えられる史料『建議書抜萃』に拠っており、江川文庫に残る下書を含む複数の建議書原本は顧みられていない。
 本報告では、『抜萃』と原本との対応関係を明らかにした上で、建議書の修正・加筆から形成過程を復元し、江川の海防論がいかに変遷し、また現実の政策へ反映されたのかを考えたい。

【参考文献】
仲田正之「江川英龍の事績と天保改革」(同『韮山代官江川氏の研究』吉川弘文館、1998年)
戸羽山瀚編『江川坦庵全集』正編・別編 巌南堂書店、1972年
佐藤昌介『洋学史研究序説』岩波書店、1964年
藤田覚「海防論と東アジア」(青木美智男・河内八郎編『講座日本近世史七 開国』有斐閣、1985年)

◆10月24日開催
日時:10月24日(土)14:00~15:00(例会終了後に茶話会を予定)
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし ※会員・非会員にかかわらずご参加いただけます
ただし、事前登録制
※10月1日(木)17時入力締め切り
例会準備の関係上、10月に開催される2回分の参加可否をまとめてとります。入力後に変更が生じた場合は、期日までにフォームを編集するか、部会運営まで個別にご相談ください。

報告者:サイジ・モンテイロ ダニエル(パリ大学博士後期課程・東京大学史料編纂所外国人研究員)
報告タイトル:「西川如見の書物からみる近世長崎の学問と混合宇宙観」

【要旨】
 長崎学者西川如見(1648−1724)は、地理・天文学の知識で評価され、1719年に徳川吉宗の顧問を務めたと知られている。彼の「天学」思想は、科学・思想史のなかで朱子学かつ西洋学問両方の影響を受けた上で合理的な傾向を表すとも論じられてきた。しかし、如見が述べる「天学」は「洋学」と「儒学」の中間的な学問のみならず、むしろ多種な要素から構成された「混合宇宙観」だと把握できる。要素は五つに分類される:①近世日本の朱子学、②中国明代の儒学、③漢籍伝来のイエズス会系宇宙論、④長崎の南蛮系宇宙論、⑤オランダ商人の天文学的技術。
 本報告は、西川如見の混合宇宙観を網羅的に描写する『両儀集説』に注目し、その書物で引用される馮応京(?−1606)著『月令広義』からみられる②と③の複合的な関係を考察するものである。すなわち、マテオ・リッチ(1552−1610)経由で伝来したヨーロッパ由来の宇宙論を馮応京は『月令広義』で紹介し、西川如見は同書に基づいて西洋伝来の宇宙論を中国明代の知識として扱うことの意義を本報告は検討する。

【参考文献】
国立公文書館所蔵、西川如見著『両儀集説』(内閣文庫194−0055)、写本。
海野一隆 『日本人の大地像ー西洋地球説の受容をめぐって』、大修館書店、2006年。
海野一隆 「明・清におけるマテオ・リッチ系世界圖―主として新史料の検討」山田慶兒編『新発現中国科学史資料の研究―論考篇』、京都大学人文科学研究所、1985年。
孫承昇 『観念的交織―明清之際西方自然哲学在中国的伝播』、広東人民出版社、 2018年。

 

【8月オンライン例会】内容報告

 洋学史学会若手部会では8月オンライン例会を開催し、2名の会員による研究報告が行われました。以下にその概要を報告致します。

《8月オンライン例会①》
日時:8月1日(土)14:00~15:00
報告者:山本瑞穂(東京大学大学院人文社会系研究科修士課程)
報告タイトル:「文化年間の幕府周辺における日露交渉史の把握の深化―大槻玄沢『北辺探事補遺』を中心に―」

 本報告では、ロシアの日本接近においてオランダ商館が幕府に果たした役割の解明を目的として、主に元文の黒船を対象に検討がなされた。大槻玄沢は仙台藩医の立場から仙台藩の記録や宝物の調査等を利用して情報を収集し『北辺探事 補遺』をまとめ、若年寄堀田正敦にも呈上したとし、近藤重蔵が長崎の通詞から得たメモの提供を受け元文の黒船がオランダ船であるという自説の傍証ともしたと指摘する。一方、柴野栗山ら儒者たちも翻訳蘭書やオランダ商館経由の海外情報から当該期の日露交渉を把握、対応策を老中に書面で提出していたことを指摘、元文年間のオランダ商館の情報提供と蘭書輸入が文化年間の日露交渉把握の深化を可能とし、商館と幕府をつないだのは幕府に近い学者であったと結論づけた。
 報告後は研究史に関する助言、幕府の儒者が日露交渉の履歴を追っていた理由、日露交渉史という言葉の適否、新井白石・荻生徂徠らの海外情報収集との関連性、修論全体の中での本報告の位置づけ、先行研究の不足をどう更新するか等活発な質疑がなされた。

《8月オンライン例会②》
日時:8月8日(土)14:00~15:00
報告者:阿曽歩(国際基督教大学博士研究員)
報告タイトル:「大槻平泉旧蔵キリスト教関連資料に関する考察」

 本報告は仙台藩藩校の学頭を務めた大槻平泉が所蔵していたキリスト教関連資料(「蘭文旧約聖書ダニエル書」)について、その書誌や史料上の特徴を分析し、史料的意義を考察するものであった。平泉は大槻玄幹とともに長崎で志筑忠雄に蘭学を学んでいる。「蘭文旧約聖書ダニエル書」は聖書そのものではなくボイス学芸事典からの転写であること、欄外に書かれた朱書の文章が蘭文の翻訳ではないこと等が判明した。近世後期におけるキリスト教知識の受容については自然科学系書物や地理書、聖書研究等をその源泉としているが、平泉の神に対する興味関心やオランダ語能力の程度、欄外の朱書の出典等についての検討が今後の課題として挙げられた。
 報告後は史料の年代、本報告の平泉研究における位置づけ、東北という土地柄とキリスト教受容の関係性、平泉が宗教に興味を抱いたきっかけ、ロシアとの関係、仙台藩の蘭学との関係性、志筑忠雄に学んだ根拠等、様々な視点からの質問があり意見交換がなされた。

                               (文・西留いずみ)