洋学史学会若手部会

洋学史学会に所属する大学院生・学部生を中心とする若手部会です。

【開催案内】洋学史学会若手部会8月例会

洋学史学会若手部会では、8月例会を開催致します。
ご関心のある方はふるってご参集ください。

【洋学史学会若手部会8月オンライン例会】
日時:2022年8月6日(土)14:00〜16:10
会場:参加者にURL配布
参加資格:なし、※会員、非会員にかかわらずご参加いただけます。
事前登録制、登録はコチラ から。
※8月4日(木)18:00入力締切
回答後に変更が生じた場合、期日までにフォームを編集するか、洋学史学会若手部会運営(yogakushi.wakate@gmail.com)まで直接、ご相談ください。

報告者①:萱田寛也(早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程)
報告タイトル:「江戸時代後期の社会における小石川養生所の位置づけ」(仮)

〈報告要旨〉
 本報告の目的は、江戸時代後期の社会における小石川養生所の位置づけを検討することである。小石川養生所は、経済的に薬を入手できない病人や、看病人がいない病人などを診察、治療するために、享保7年(1722)に小石川薬園内に設立され、幕末期まで存続した。小石川養生所の運営をめぐっては、先行研究において、幕府医学館が運営に関与しようとしたこと、19世紀以降、小石川養生所への入所希望者が減少し、その背景には小石川養生所に勤務する医師や役人の怠業があったことなど幾つかの論点が提示されている。その一方で、小石川養生所が幕末期まで存続した背景についても考える必要があろう。小石川養生所に関連する資料は多いとはいえない状況だが、残された資料から、江戸時代後期の社会における小石川養生所の位置づけについて考察したい。
〈参考文献〉
南和男「養生所の成立と実態」(同『江戸の社会構造』〈塙書房、1969年〉)
岩渕佑里子「寛政~天保期の養生所政策と幕府医学館」(『論集きんせい』22号、2000年)
安藤優一郎『江戸の養生所』(PHP研究所、2005年)

報告者②:濱口裕介(東洋大学人間科学総合研究所客員研究員)
報告タイトル:「伊勢商人竹川竹斎が語った国策論「不能議」について」

〈報告要旨〉
 幕末維新期を生きた伊勢の豪商竹川竹斎は、勝海舟のパトロン、独自の海軍論を唱えたことでも知られる。1866年(慶応2年)9月、竹斎は大坂で老中小笠原長行から諮問を受け、外国米輸入・蝦夷地開拓・鉄道敷設・海運整備などの国策を論じた。そのやり取りの記録「不能議」が、現在も竹川家の射和文庫に伝わっている。
 特に本史料において注目されるのは、蝦夷地開拓論を論じる中で北海道への改号の重要性を主張していることである。これは、同じ伊勢出身の松浦武四郎が明治新政府に道名選定を諮問され、「北海道の名付け親」として顕彰されていることとの関わりからも無視できない点である。
 本報告では、商人の立場から政治・経済・軍事といった多岐にわたる改革案を示したこの「不能議」を紹介し、その内容について多面的に検討してゆきたい。
〈参考文献〉
三重県飯南郡教育会編・発行『竹川竹斎翁』(1915年)
竹川竹斎翁百年祭実行委員会編『竹川竹斎』(1981年)
笹木義友・三浦泰之編『松浦武四郎研究序説』(北海道出版企画センター 2011年)