洋学史学会若手部会

洋学史学会に所属する大学院生・学部生を中心とする若手部会です。

【2021年4月オンライン例会】内容報告

洋学史学会若手部会では4月オンライン例会を開催し、2名の会員による研究報告が行われました。以下にその概要を報告致します。

日時:2021年4月3日(土)14:00〜16:10

報告者①:西脇彩央(京都大学大学院教育学研究科博士前期課程)
報告タイトル:「米国改革派教会による日本人留学生支援の実態と意義」

 幕末維新期、米国ニュージャージー州にあるラトガース大学周辺には多くの日本人留学生が集まった。そのきっかけには米国改革派教会(Reformed Church in America, RCA)による留学生支援があったが、先行研究において、RCAへの言及は個別的な事例紹介に留まっていた。これを踏まえ、本報告では当時の米国留学の実態についてRCAに焦点を当て、ラトガース大学グリフィス・コレクション所収の未活用資料を用いた考察が行われた。
 報告では、RCAの支援の対象は基本的にG.F.フルベッキに関わりのある人物であったこと、支援の内容としては紹介状の交付、金銭支援、留学費や手紙の回送、下宿先の斡旋、進路相談などがあったことが明らかにされた。また、RCAは留学生支援を通してキリスト教伝道を意図していたことや、日本政府との関係を形成していたことが示された。
 質疑では、岩倉使節団の渡米による留学生に対する待遇変化、東アジアに視野を広げたアメリカによる日本支援の意味などの問題が挙げられたほか、RCAによる支援の実態について、在米公使館との関係性を踏まえた評価をすべきといった提言がなされた。

報告者②:橋本真吾(東京工業大学非常勤講師)
報告タイトル:「渡辺崋山のアメリカ認識-蘭学者とその協働をめぐって-」

 本報告は、渡辺崋山のアメリカ合衆国についての認識と、その認識を得る過程での蘭学者との協働を考察したものである。 
 報告では、崋山が江川英龍の依頼により執筆した海外事情書三部作、すなわち『初稿 西洋事情書』・『再稿 西洋事情書』・『海外事情書』のアメリカ記事の分析が行われた。その中で、アメリカ情報が飛躍的に進展していることが確認でき、とりわけ『再稿』から『外国事情書』へと改稿するにあたって費やした二週間において、崋山がアメリカに対する認識を大きく変化させたことが示された。この変化の背景には、当時の最新学術書であり、高野長英が翻訳したと考えられるルーランスゾーン『世界地理学辞典』の影響があったことが指摘された。また、先行研究において『外国事情書』は崋山が主体的に著したものとされているが、実際には長英の翻訳したものを崋山が編集し再翻訳を行ったのではないかという新解釈が示された。
 質疑では、依頼者である江川の意図や幕府との関連について質問があったほか、『世界地理学辞典』の学術的価値やヨーロッパでの評価、崋山の知識人社会における位置付けについてのコメントが挙げられた。

                                (文・谷地彩)

【洋学史学会若手部会4月オンライン総会・例会】開催案内

 洋学史学会若手部会では2021年度も引き続き、オンラインでの例会を開催致します。4月は下記日程にて、総会と報告者2名による例会を開催いたします。例会はどなたでもご参加いただけますので、ご関心のあるかたはご参集ください。

【洋学史学会若手部会4月オンライン総会・例会】
《2021年度オンライン総会》
日時:2021年4月3日(土)13:00~13:45
会場:参加者にURLを送付
参加資格:洋学史学会若手部会正会員および賛助会員

《4月オンライン例会》
日時:2021年4月3日(土)14:00~16:10
   報告①(西脇彩央) 14:00~15:00
   報告②(橋本真吾) 15:10~16:10
   茶話会       16:20~
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし ※会員・非会員問わず、参加可

※オンライン総会、例会とも、事前登録制(参加登録フォーム
 例会準備の関係上、4月1日(木)17時に回答を締め切ります。回答後に変更が生じた場合、期日までにフォームを編集するか、洋学史学会若手部会運営(yogakushi.wakate@gmail.com)まで直接、ご相談ください。

報告者①:西脇彩央(京都大学大学院教育学研究科博士前期課程)
報告タイトル:「米国改革派教会による日本人留学生支援の実態と意義」
(旧タイトル:「米国改革派教会と幕末維新期の日本人留学生―グリフィス・コレクションの資料を中心に―」)


〈報告要旨〉
 米国ニュージャージー州にあるラトガース大学には、幕末明治期の日本人留学生関連資料を多く含むグリフィス・コレクションが所蔵されている。この資料群は、当時の日本人留学生を扱った先行研究でも適宜活用されてきたが、膨大であるため未活用の資料も多い。本報告では、グリフィス・コレクション内の未活用資料を用い、当時の米国留学の実態について考察する。特に、当時の日本人留学生に対し積極的な支援を展開した米国改革派教会に焦点を当てる。
 本報告では、米国改革派教会という留学生以外の視点に立ち、当時の留学生と教会、キリスト教との関わりを明らかにしたい。

〈参考文献〉
石附実『近代日本の海外留学史』中央公論社、1992
犬塚孝明「翻刻 杉浦弘蔵ノート」『研究年報』15巻、鹿児島県立短期大学地域研究書編、1987
杉井六郎「横井左平太と横井大平のアメリカ留学―オランダ改革派教会宣教師フルベッキの活動―」『社会科学』11号、同志社大学人文科学研究書、1970
高木不二『幕末維新期の米国留学―横井左平太の海軍修学』慶應大学出版社、2015

田中智子「幕末維新期のアメリカ留学―吉田清成を中心に」『日本近代国家の形成と展開』吉川弘文館、1996


報告者②:橋本真吾(東京工業大学非常勤講師)
報告タイトル:「渡辺崋山のアメリカ認識―蘭学者との協働と翻訳をめぐって―」

〈報告要旨〉
 本報告では、渡辺崋山(1793-1841)のアメリカ合衆国に関する認識と、その認識を獲得する上で蘭学者との協働が果たした意義の二点について考察する。
 崋山は、蘭学者との協働を通じて最新の海外情報を得ていた開明的知識人のように語られがちだが、ことアメリカ情報の分析に関しては苦戦を強いられたと考えられる。崋山が天保10(1839)年に起稿した「三部作」、すなわち『初稿 西洋事情書』・『再稿 西洋事情書』・『海外事情書』の中での記述の推移に注目すると、崋山はこれらを執筆する過程でアメリカ認識を急速に転換させ、最終段階でようやくアメリカの独立を確信するにいたったことがわかる。
 従来崋山のアメリカ認識は、崋山の思想や西洋観の一部として論じられてきたが、三部作の中でみられる記述の変化とその背景については検討の余地が残る。報告では、崋山のアメリカ認識の歴史的推移を明らかにするとともに、高野長英による学術事典の翻訳と執筆協力という視点から、崋山と蘭学者による協働の洋学史的意義について再考を試みる。

〈参考文献〉
佐藤昌介『洋学史の研究』(中央公論社、1980年)
佐藤昌介『渡辺崋山(人物叢書 新装版)』(吉川弘文館、1986年)
前田勉『近世後期の思想空間』(ぺりかん社、2009年)
橋本真吾「近世後期における対米観の形成―大槻玄沢から箕作省吾『坤輿図識』まで―」『洋学』25号(洋学史学会、2018年)
矢森小映子「渡辺崋山の蘭書理解―江戸知識人たちの蘭学受容―」『論集きんせい』40号(近世史研究会、2018年)

【2021年2月オンライン例会】内容報告

洋学史学会若手部会では2月オンライン例会を開催し、2名の会員による研究報告が行われました。以下にその概要を報告致します。

《2月オンライン例会①》
日時:2021年2月13日(土)14:00~15:00
報告者:岸本萌里(東洋大学大学院文学研究科博士前期課程)
報告タイトル:「嘉永期の京都警衛における朝廷と幕府の動向について」

 本報告は、嘉永期における公家と海防の関連および朝廷の意思決定の特質という視点で、武家伝奏三条実万の意見書案を中心に朝廷と幕府の京都警衛方針を比較し、両者の海防認識の差異を明らかにしたものである。具体的には、ペリー再来航以後の京都近海の異国船対応策として、幕府は日本海沿岸からの「陸路」での上陸を主に想定していたが、朝廷はより現実的に日本海側と大坂湾の「海路」の双方からの侵入を考慮していた。その背景には、幕府の管轄区分による問題意識の共有の限界や、公家による海外情報に基づいた考察があった。その後プチャーチン大坂湾来航を受け、幕府は「陸路」「海路」双方の警衛を整えていく。
 質疑では、朝廷は京都警衛を主導しようとしたのか、実万と老中との会談の形態が直前に変更されたことについてどう考えるか、会談時の老中の態度は公儀全体を代表するものか、実万はどのような海外情報を求め収集していたか、といった質問が出た。

《2月オンライン例会②》
日時:2021年2月27日(土)14:00~15:00
報告者:藤本大士(名古屋経済大学非常勤講師)
報告タイトル:「19世紀後半の日本におけるアメリカ人医療宣教師と医学教育」

 従来、19世紀後半の日本の医学に関してはドイツ人医師の活動が注目され、アメリカ人医師の存在は見落とされてきた。本報告はこれを踏まえ、アメリカのプロテスタント・ミッションの医療宣教師による医学教育を中心とした日本での活動について検討したものである。
 報告では、アメリカ人医療宣教師により、1859〜60年代には遊学中の諸藩の医師への指導が、70年代には医術開業試験及第を目指す学生への指導が行われたが、80年代には日本の公立医学校の整備に伴い、彼らが医学教育を行わなくなるという変容が起こったことが示された。一方で、女性医療宣教師が80、90年代にミッションスクールの女子学生を教育していたことが報告された。
 質疑では、アメリカ人宣教師全体に占める医療宣教師の割合、アメリカ医学の特徴、明治初期における宣教活動の難しさなどが問われたほか、当時拡大しつつあったアメリカによる日本への宣教師派遣をどう評価するかといった質問が出た。

                             (文・山本瑞穂)

【洋学史学会若手部会2月オンライン例会】開催案内

洋学史学会若手部会では引き続き、オンラインでの例会を開催致します。
2月例会は下記日程にて、オンライン例会を開催致します。どなたでもご参加頂けますので、ご関心のある方はふるってご参加ください。

【洋学史学会若手部会2月オンライン例会】
◆2月13日開催
日時:2021年2月13日(土)14:00~15:00(例会終了後に茶話会を予定)
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし ※会員・非会員にかかわらずご参加いただけます

ただし、事前登録制
※2月11日(木)17時入力締切
例会準備の関係上、2月に開催される2回分の参加可否をまとめてとります。入力後に変更が生じた場合は、期日までにフォームを編集するか、部会運営まで個別にご相談ください。

報告者:岸本萌里(東洋大学大学院文学研究科博士前期課程)
報告タイトル:「三条実万の異国船対応と京都警衛問題―嘉永6年から7年の朝幕交渉を中心に―」(仮)

【要旨】
 三条実万(1802-1859)は幕末期の公家で、天保4年(1831)から弘化4年(1847)には議奏を、嘉永元年(1848)から安政4年(1857)までは武家伝奏を務めた人物である。実万が朝廷の政務の中心を担った天保~安政期は異国船の渡来が相次いだ時期でもあり、朝廷は対外問題に対処しなければならなかった。故に実万も朝廷制度改革や対外問題への対処に当たっていたことが知られている。
 しかし、実万の海外情報に対する理解については、安政期に京都で入説を行なっていた福井藩士橋本左内の評価などを元に「令格旧套不脱却人」であると考えられてきた。そのため、対外問題への対処を担った実万が得た情報や、実万自身が持つ意見についてはほとんど注目されることがなかった。特に後の問題となる京都警衛問題について、近年は安政期を中心に大坂湾の防備や台場などの実態が明らかにされつつあるものの、朝廷の意向については考慮されず、また嘉永期の公家の動向にも言及されてこなかった
 本報告では、実万が議奏・武家伝奏を務めた際の関連史料が残る国立国会図書館憲政資料室所蔵「三条家文書」を使用して、ペリー来航後の実万の動向と京都警衛に関する実万の意見についての考察を試みたい。

【参考文献】
家近良樹『幕末の朝廷―若き孝明帝と鷹司関白』(中央公論新社、2007年)
鈴木栄樹「「京都御備」としての安政期の湖北通船路開鑿事業 ―彦根藩と小浜藩との対立を軸とした通説の根本的再検討を通じて―」(『人文学報』104号、2013年)
後藤敦他編『幕末の大阪湾と台場―海防に沸き立つ列島社会―』(戎光祥出版、2018年)
後藤敦史「幕末期における幕府の大坂湾防備対策と堺台場―川村修就と勝海舟に注目して―」(『ヒストリア』280号、2020年)

 

◆2月27日開催
日時:2021年2月27日(土)14:00~15:00(例会終了後に茶話会を予定)
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし ※会員・非会員にかかわらずご参加いただけます

ただし、事前登録制
※2月11日(木)17時入力締切
例会準備の関係上、2月に開催される2回分の参加可否をまとめてとります。入力後に変更が生じた場合は、期日までにフォームを編集するか、部会運営まで個別にご相談ください。

報告者:藤本大士(名古屋経済大学非常勤講師)
報告タイトル:「19世紀後半の日本におけるアメリカ人医療宣教師と医学教育」

【要旨】
 明治初年より、日本ではドイツの医療制度や医学教育をもとに医学の近代化が進められてきた。しかし、明治期に来日した医師の出身国をみてみると、ドイツよりアメリカの出身者の方が多かったことがわかる。彼らアメリカ人医師の多くは、医療宣教師(医師であり、キリスト教の宣教師であった)と呼ばれる人々であった。先行研究では、明治初年から1945年までドイツの医学が日本で支配的であったことがしばしば議論され、そのため、日本人医師・医学生のドイツ留学やドイツ人による日本での医学教育などが詳しく研究されてきた。それに対し、この時代にアメリカ人医師たちがどういった活動をおこなったかについては十分に明らかになっていない。本報告では、19世紀後半のアメリカ人医療宣教師の活動を、とくに医学教育との関わりに注目して検討したい。

【参考文献】
田中智子『近代日本高等教育体制の黎明——交錯する地域と国とキリスト教界』思文閣出版、2012年。
藤本大士「幕末・明治初年における3人のアメリカ人医療宣教師について」『洋学』23号、2016年、89–114頁。
藤本大士「1880–1890年代の日本におけるアメリカ女性医療宣教師の活動」『日本医史学雑誌』64巻3号、2018年、223–239頁。
藤本大士「明治初期大阪におけるアメリカ人医療宣教師と医学教育」『科学史研究』292号、2020年、318–333頁。
Hiro Fujimoto, "Women, Missionaries, and Medical Professions: The History of Overseas Female Students in Meiji Japan," Japan Forum, 32(2), 2020, pp. 185–208.

 

【2020年12月オンライン例会】内容報告

 洋学史学会若手部会では12月オンライン例会を開催し、2名の会員による研究報告が行われました。以下にその概要を報告致します。

《12月オンライン例会①》
日時:2020年12月12日(土)14:00~15:00
報告者:濱口裕介(札幌大学女子短期大学部助教)
報告タイトル:幕末維新期における北海道改号論について

 本報告は、松浦武四郎個人の業績と見なされがちな北海道改号について、日本全体の地理認識の転換に関わる問題として、武四郎以外の改号論を含め、考察を行ったものである。
 報告者はまず、北海道改号論は近世後期の日本に存在した複数の地理像を統合し、一本の境界線を定めようとする幕末以降の中央集権体制への志向の中に位置づけられることを指摘した。次に、徳川斉昭、竹川竹斎、井上石見等による武四郎以前の北海道改号論の比較分析から、各論者により「北海道」を指示する範囲に大きな差異があること、そして、現実のアイヌの存在を意識した武四郎の撰号が特筆すべきことを指摘した。最後に、北海道への改号は、重層的な地理像を統合する意味合いがあった一方、明治以後も北海道を「蝦夷」、「北洲」等と表記する場合も少なくなく、地理像の転換は漸進的なものであったことが報告された。
 質疑では北海道改号を巡る開拓使側の記録の有無についての質問、また、武四郎以外による北海道・蝦夷地認識についての議論がなされた。

《12月オンライン例会②》
日時:2020年12月19日(土)14:00~15:00
報告者:吉岡誠也(東京大学地震研究所特任研究員)
報告タイトル:「成富清風日記」にみる明治初年清国留学の基礎的考察

 明治期の海外留学は欧米が中心であり、留学史研究においても、当時の清国留学については事実の指摘程度に留まる。それに対して本報告は、東京大学史料編纂所に所蔵されている、成富清風の日記を用い、1871(明治4)年頃の清国留学の一端を明らかにしようとしたものである。
 成富は、1838(天保9)年生まれの佐賀藩士で、藩校弘道館の分校である大野原学校へ入学した後、1864(元治元)年に昌平黌への遊学で漢学を修めた。1870(明治3)年頃から英語を学び始めた成富は、1871(明治4)年に明治新政府より清国留学を命じられ、上海におよそ2年滞在した。彼の日記からは、在清の欧米人より英語を学び、清国人から清国の公用語である官話を習うなど、留学中の学習の様子をうかがい知ることができる。また、同時期に香港に留学していた旧松江藩士岡田好成らとの交流があったことが確認できる。
 質疑では、留学中の1873(明治6)年に成富の所管が文部省から外務省へ移管されたことに関する質問や、欧米への留学が盛んになっていたにもかかわらず、欧米ではなくあえて清へ留学することの意義についての疑問が出された。また、これまでの留学史研究の手法をふまえ、同時期に留学していた他の留学生から成富の果たした役割を位置付けることができるのではないか、といった展望などが議論された。
 
                                (文・西脇彩央)

【洋学史学会若手部会12月オンライン例会】開催案内

 12月オンライン例会の日程と詳細が決まりましたので、お知らせします。
 どなたでもご参加いただけますので、ご関心のある方はこの機会に是非お越し下さい。(要事前登録:下記参照)
 
【洋学史学会12月オンライン例会】
◆12月12日開催
日時:2020年12月12日(土)14:00~15:00(例会終了後に茶話会を予定)
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし
ただし、事前登録制
※12月10日(木)17時入力締め切り
例会準備の関係上、同月開催される2回分の参加可否をまとめてとります。入力後に変更が生じた場合は、フォーム編集を行うか、運営まで個別にご相談ください。

報告者:濱口裕介(札幌大学女子短期大学部助教)
報告タイトル:「幕末維新期における北海道改号論について」(仮)

【要旨】
 1869年、松浦武四郎の案をもとに新政府は蝦夷地を北海道と改めた。これは、近世の松前蝦夷地地域区分体制の否定であり、同時に国郡制の実施によって蝦夷地が名実ともに日本領に編入された、歴史的に極めて重大なできごととされている。
 しかし、この北海道号の成立事情についてはいまだ検討の余地がある。というのも、近年の研究では道名選定に関わった官吏が武四郎ひとりではないことが明らかにされており、また徳川斉昭をはじめとして、海防への関心と結びついた改号論も幕末期から認められるからである。幕末期以来の道名選定の前史、武四郎以外の人々の動向も視野に入れた上での再評価が必要であろう。
 そこで本報告では、幕末維新期における北海道改号論をめぐる動向を取り上げ、新政府による道名選定の意義について再考したい。あわせて地理学史の成果に学びつつ、近世・近代移行期における日本地理像の変容という問題についても考えてゆきたい。

【参考文献】
榎森進『アイヌ民族の歴史』草風館 2007年
笹木義友・三浦泰之編『松浦武四郎研究序説』北海道出版企画センター 2011年
上杉和央『地図から読む江戸時代』ちくま新書 2015年

◆12月19日開催
日時:2020年12月19日(土)14:00~15:00(例会終了後に茶話会を予定)
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし
ただし、事前登録制
※12月10日(木)17時入力締め切り
例会準備の関係上、同月開催される2回分の参加可否をまとめてとります。入力後に変更が生じた場合は、フォーム編集を行うか、運営まで個別にご相談ください。

報告者:吉岡誠也(東京大学地震研究所特任研究員)
報告タイトル:「明治初年旧佐賀藩士成富清風の清国留学について」(仮)

【要旨】
 成富清風(1838-1882)は佐賀藩の下級藩士で、幕末に藩命により昌平黌に学び、帰藩後は藩主鍋島直大の側に仕えた人物である。維新後は、明治4年(1871)5月に、同藩士福島九成や薩摩藩士小牧昌業ら計6名とともに新政府から清国留学を命じられた。清国滞在中には、同7年の台湾出兵に際して事前に現地調査を行い、詳細な報告書を新政府に提出したことが知られている。
 だが、本来の目的である留学の実態については不明な点が多い。明治新政府が、海外留学政策を積極的に推進したことはよく知られているが、清国留学に関しては研究がほとんどなく、また日中交流史の分野においても、日本人の清国留学の具体像が示されるのは1870年代後半以降である。
 このような研究状況の要因は関連史料の乏しさにあるが、東京大学史料編纂所所蔵「成富清風日記」には、留学期間中の清風の行動が克明に記されている。そこで本報告では、同日記を使用して清国留学の実態について基礎的な考察を試みたい。

【参考文献】
石附実「新政府の留学政策と留学の流行」(同『近代日本の海外留学史』中公新書、1992年、初版1972年)
桑兵「近代の日本人中国留学生」(大里浩秋・孫安石編『留学生派遣から見た近代日中関係史』2009年、御茶の水書房)
拙稿「史料紹介・翻刻 東京大学史料編纂所所藏「佐賀藩土成富清風日記・雑記」について」(『佐賀県立佐賀城本丸歴史館研究紀要』15号、2020年)

【10月オンライン例会】内容報告

 洋学史学会若手部会では10月オンライン例会を開催し、2名の会員による研究報告が行われました。以下にその概要を報告致します。

《10月オンライン例会①》
日時:2020年10月3日(土)14:00~15:00
報告者:菊地智博(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)
報告タイトル:「韮山代官江川英龍の海防建議書とその変遷」

 本報告は、江川文庫所蔵江川家文書に残る海防意見書草案の原本と、明治期に江川英武がまとめた「建議書抜萃」とを比較させることで、江川英龍の天保8(1837)年から天保10(1839)年の海防建議書がどのように変遷していったのかを明らかにしたものである。特に付箋のはりつけや書き替えなどから、農兵論を初めて建議した天保10年の建議書に至る修正・加筆過程とその時期を、蛮社の獄に至る政治過程のなかで明らかとした。
 田原藩家老渡辺崋山が「諸国建地草図」の中で、房総相州への大名移住を建言しており、江川はこれを受けて天保10年4月の建議書に取り入れたほか、伊豆への大名移住を献策したことが天保10年5月の建白書にみられることが報告された。
 質疑では、採用する側の動向や儒学者などの動向、江川の提出したこの後の海防書の検討も含めた様々な観点から検討することによって、江川の海防建議書の意義が見いだせるのではないかという指摘があった。


《10月オンライン例会②》
日時:2020年10月24日(土)14:00~15:00
報告者:サイジ・モンテイロ ダニエル(パリ大学博士後期課程・東京大学史料編纂所外国人研究員)
報告タイトル:「西川如見の書物からみる近世長崎の学問と混合宇宙観」

 明代の儒学者馮応京(ふうおうけい)は『月令広義』(1602)で、マテオ・リッチ(利瑪竇)が作製した初めての世界地図『山海輿地全図』(1584)にみられるようなヨーロッパ由来の宇宙観を紹介した。馮の著書を引用し、『両儀集説』(1714)を著したのが、長崎の学者西川如見であった。
 報告ではまず、如見が『両儀集説』で示した宇宙観は、中国明代の儒学、漢籍伝来のイエズス会系宇宙論の理解に基づく「ハイブリッド・コスモロジー(混合宇宙観)」と呼べるものである、との指摘がされた。その上で、この宇宙観が生まれた背景について、如見の思想に近世中期の長崎の学問における華夷思想が反映していること、そして当時、如見が世界万国の中における日本の位置を考え直すために、天文・地理学的技術の振興を唱えたことが関連している、との報告がなされた。
 質疑では、ポルトガルやスペインから渡来した南蛮系宇宙論と、如見の「混合宇宙観」はどのように違うのかというものがあった。そのほか、長崎の学問とは具体的にどのようなことを指示しているのか、息子正休にその影響が見られるか、という質問が出た。
 洋学は漢訳洋書を読むことから始まった(岸田知子『漢学と洋学 伝統と知識のはざまで』)とするならば、本報告はまさにこの一端が垣間見えるような報告だったといえよう。

                                (文・塚越俊志)