洋学史学会若手部会

洋学史学会に所属する大学院生・学部生を中心とする若手部会です。

【開催案内】洋学史学会若手部会10月例会

洋学史学会若手部会では、下記のとおり10月例会を開催します。
ご関心のある方はふるってご参集ください。
※対面・オンラインの併用での開催です。

◆洋学史学会若手部会10月例会(Zoom併用)
日時:2023年10月7日(土)14:00〜17:10 ※終了後に茶話会を予定。
会場:電気通信大学(東京都調布市) 東1号館806教室
(Zoom URLは後日、レジュメと同時配布を予定)

事前登録制、登録はこちらから。
※10月5日(木)18:00申込締切。

報告者①:谷地彩(上智大学非常勤講師)
「フランシス・ブリンクリーの日本観」

〈報告要旨〉
 フランシス・ブリンクリー(Francis Brinkley, 1841-1912)は1867年に来日し、日本の海軍省の御雇を経て日本の英字新聞Japan Mailの主筆や、英国の日刊紙Timesの通信員として活躍したほか、『ブリタニカ百科事典』の「日本」の項目を執筆するなど、様々な媒体で日本を世界へ紹介し続けた。そのことは当時の人々の認めるところであり、ブリンクリーが危篤に陥った際の『読売新聞』では、ブリンクリーは「新日本の紹介者」であり、西洋に日本を紹介した功績は、同時代の日本文学者として知られるラフカディオ・ハーン(小泉八雲)にも劣らないと評されている。
 しかし、現在に至るまでブリンクリーの一般的な知名度はラフカディオ・ハーンには遠く及ばず、研究も少ない。近年では美術史や英学史の分野において再評価する動きがあるが、当時の日本人に「新日本の紹介者」とみなされたブリンクリーが、どのように日本を紹介していたかということについては十分に検討されていない。そこで本報告では、ブリンクリーの著書や新聞記事のほか、これまで研究の対象とされてこなかった『ブリタニカ百科事典』の記述にも注目し、ブリンクリーの日本観について考察する。

〈参考文献〉
澤木智惠子「日本語新聞の死亡記事にみるF・ブリンクリーの業績と評価」(『教養デザイン研究論集』11巻、明治大学大学院、2017年)
本田毅彦『大英帝国の大事典作り』(講談社、2005年)

報告者②:原島実穂(駒澤大学大学院修士課程)
「井上馨外相期における青木周蔵の動向―ビスマルク説得運動を中心に―」(仮)

〈報告要旨〉
 本報告は、井上馨外相期(1879年〜1887年)における条約改正会議を前に、井上が青木周蔵駐独公使へドイツを懐柔するために求めた、ドイツ帝国宰相オットー・フォン・ビスマルクへの条約改正会議における日本支持を取り付けるための説得運動の影響を再検討する。
 従来の研究では、そもそもビスマルク説得運動という事象そのものが取り上げられた例は少なく、各国ごとの事前交渉の一事例として登場する。しかし、寺島宗則外務卿時代から継続して対独交渉に臨みヨーロッパの事情に通じていた青木は、他の条約改正相手国と比較してドイツ政府に対してより踏み込んだ交渉ができ、それに加え、青木は他の在外日本公使に比べ井上外相と懇意だったこともあり、条約改正交渉において急速にドイツの影響力が増していく。こうした青木の人脈に始まる井上外相期におけるドイツ偏重は史料からも明らかであり、ビスマルクに直接政治工作を仕掛け、最終的にドイツの友好的な態度を引き出したことは重要な意味を持つと考えられる。
 本報告では、一つの事例としてのビスマルク説得運動を取り上げるのではなく、岩倉使節団から続く日本人のビスマルクへの憧憬とビスマルク本人の極東への関心の薄さといった当時の日独関係をベースに、条約改正会議に至るまでの日独間の交渉過程を明らかにしたい。

〈参考文献〉
勝田政治「大久保利通とビスマルク」(『国士舘大学文学部人文学会紀要』第38号、2005年
五百旗頭薫『条約改正史』(有斐閣、2010年)
瀧井一博「伊藤博文は日本のビスマルクか?」(『ヨーロッパ研究』第9号、2010年)
飯田洋介『グローバル・ヒストリーとしての独仏戦争』(NHK出版、2021年)
堅田智子『アレクサンダー・フォン・シーボルトと明治日本の広報外交』(思文閣出版、2023年)

問い合わせ先:yogakushi.wakate@gmail.com(洋学史学会若手部会運営)