洋学史学会若手部会

洋学史学会に所属する大学院生・学部生を中心とする若手部会です。

【洋学史学会若手部会10月オンライン例会】開催案内

洋学史学会若手部会では10月オンライン例会を開催致します。
どなたでもご参加いただけますので、ご関心のあるかたは奮ってご参集ください。

【洋学史学会若手部会10月オンライン例会】
◆10月2日(土)開催
日時:2021年10月2日(土)14:00~16:10(例会終了後に茶話会を予定)
会場:参加者にURLを送付
参加資格:なし ※会員、非会員にかかわらずご参加いただけます。
ただし、事前登録制(登録はコチラ
※9月30日(木)17時入力締切
回答後に変更が生じた場合、期日までにフォームを編集するか、洋学史学会若手部会運営(yogakushi.wakate@gmail.com)まで直接、ご相談ください。

報告者①:武正泰史(東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程)
報告タイトル:「和算における「点竄」の普及と解釈について」(仮)
〈報告要旨〉
 本報告は江戸時代の数学用語である「点竄」が、どのように解釈され、普及したのかを検討するものである。
 元々「点竄」は有馬頼徸(1714-1783)の『拾璣算法』(1769年刊)によって世に広まった。同書の出版後、「点竄」は版本、写本問わず様々な数学書の中で言及され、江戸時代後期から明治にかけて多くの数学者が知る用語となった。さらに東京数学会社による訳語会では、algebraの訳語の候補として「点竄」が提案されており、明治初期の一部の数学者は代数と同等の意味で解釈していた。
 しかし、これまでの研究では「点竄」がどのように評価され、algebraの訳語にもあげられたのか、その歴史的背景について十分な検討がなされていない。そこで本報告では、『拾璣算法』以後に出版された数学書に注目することで、江戸時代の数学者がどのように「点竄」を位置づけていたのかを検討し、訳語会での主張が生まれるに至った背景を明らかにする。

【参考文献】
薩日娜『日中数学界の近代』臨川書店、2016年。
日本学士院編『明治前日本数学史』全5巻、岩波書店、1954-1960年。
「日本の数学100年史」編集委員会編『日本の数学100年史』上下巻、岩波書店、1983-1984年。

報告者②:堅田智子(流通科学大学商学部講師)
報告タイトル:「青木周蔵とアレクサンダー・フォン・シーボルト―「国家を診る医者」を目指した二人の外交官―」
〈報告要旨〉
 「独逸翁」、「独逸の化身」と称された青木周蔵(1844-1914)を知る上で、「明治のサブリーダーである青木の個性の強い記録」といわれる『青木周蔵自伝』(以下、『自伝』)は必読の書であり、史料的価値は高い。だが、『自伝』では、条約改正交渉におけるオットー・フォン・ビスマルク説得工作(1880年~1881年)、伊藤博文憲法修業(1882年~1883年)、日英通商航海条約の締結(1894年)、獨逸学協会学校専修科ドイツ人教師の選定と任用(1888年)などにともに関わったアレクサンダー・フォン・シーボルト(Alexander von Siebold, 1846-1911)について、いっさい言及はない 。
 『自伝』に校注を加えた坂根義久は、「自伝中には、青木の人物評価というか、人間に対する愛憎の深さが、実に鮮やかに画き出されている」と分析したが、『自伝』に登場しないシーボルトは、青木の「愛憎」の対象とさえなり得なかったのか。本報告では、外務省外交史料館所蔵の外交文書、東京大学総合図書館所蔵のアレクサンダー・フォン・シーボルトの日記、ブランデンシュタイン城シーボルト・アーカイヴ所蔵の書簡や覚書を史料に、出自、ベルリン日本公使館における交流、北ボルネオ買収計画(1879年)を例とした外交姿勢の観点から検討し、両者が書き残そうとしなかった関係性について考究していく。
 なお、本報告は、2022年4月から6月に久米美術館にて開催予定の特別展「プロイセン気質の日本人―明治の外交官・青木周蔵の横顔」(仮)の図録に収録予定の同名論文に基づく。

【参考文献】
Vera Schmidt, „Eine japanische Kolonie in Nord-Borneo: Alexander von Siebolds Memorandum“ in: Fakultät für Ostasienwissenschaften der Ruhr-Universität Bochum (Hg.), Bochumer Jahrbuch zur Ostasienforschung, Bd.20, München: IUDICIUM Verlag, 1996, S.15-28.
青木周蔵、坂根義久校注『青木周蔵自伝』東洋文庫、1994年。
坂根義久『明治外交と青木周蔵』刀水書房、1985年。
福島博編『獨逸學協會學校五十年史』獨逸學協會學校同窓會、1933年。
堅田智子「外交官アレクサンダー・フォン・シーボルトの描いた明治日本――広報外交戦略の立案と展開――」博士学位取得論文、2016年度上智大学提出。