洋学史学会若手部会

洋学史学会に所属する大学院生・学部生を中心とする若手部会です。

【内容報告】2023年10月例会

 洋学史学会若手部会では10月例会を対面・オンライン併用のハイブリッド形式で開催しました。以下、その概要を報告いたします。

日時:2023年10月7日(土)14:00〜17:00
開催場所:対面(電気通信大学)、オンライン(Zoom)

例会の風景

報告者①:谷地彩(上智大学非常勤講師)
報告タイトル:フランシス・ブリンクリーの日本観-『ブリタニカ百科事典』第10版を中心に

 本報告では、フランシス・ブリンクリーが執筆した『ブリタニカ百科事典』第10版(1902–1903年)の「Japan」項目の分析を通して、彼の日本観について考察した。報告では1902年の日英同盟締結と同時期に事典が刊行されたこともあり、「Japan」項目は大きな注目を集め、当時のイギリスの新聞書評でも高い評価を受けたことが指摘された。当時在日外国人から、ブリンクリーは「日本贔屓」であり、彼が経営・編集する英字新聞『ジャパン・メイル』は明治政府の御用新聞であるなどと批判されていた。こうした評価に対し、報告者はブリンクリーによって執筆された「Japan」項目の分析により、彼が日本について評価すると同時に欠点も指摘するなど、「日本贔屓」ではなく客観的な描写につとめ、独立国としての特徴を記述していたことを明らかにした。
 参加者からは、ブリンクリーが日本に長期滞在する中での日本観の変化や、『ブリタニカ百科事典』「Japan」項目を執筆する際に用いた参考文献がどのようなものか等について質問がなされた。

報告者②:原島美穂(駒澤大学大学院修士課程)
報告タイトル:「井上馨外相期における青木周蔵の動向-ビスマルク説得運動を中心に」
 本報告では、井上馨外相期に行われた非公式の政治工作「ビスマルク説得運動」を中心に、日独間の条約改正交渉の展開について考察した。報告者はまず先行研究をもとに木戸孝允や青木周蔵の史料を用いて、19世紀以降の日本におけるドイツやビスマルクへの憧憬の高まりを説明した。次に、先行研究を踏まえつつ、外交文書などの分析により、井上馨にドイツへの働きかけを命じられた駐独公使青木周蔵が宰相ビスマルクの説得を試みたこと、青木の交渉は一時膠着状態に陥るも、憲法調査のため渡欧してきた伊藤博文とビスマルクとの会談が実現したことを機に対独交渉が動き出し、ドイツ政府が条約改正のイニシアチブを取るという合意を得るに至ったことを整理した。報告者は、最終的には青木がドイツ政府の合意を得ることができ、改正会議を前にした段階で日本政府は説得運動が成功したとの認識であったことから、先行研究の一部で指摘される「ビスマルク説得運動」は失敗したという評価は早急であるとした。 
 参加者からは、この後の皇帝ヴィルヘルム2世による世界政策との関わりについての質問や、ヨーロッパにおけるドイツが置かれた政治状況も踏まえると良いという提案がなされた。

                              (文責:阿曽歩)